知覧特攻平和会館へ
二年ぶりの二回目
今年は来れたなぁ。
映画で使われた隼のレプリカがある。
その当時の日本は、国際法で禁じられたアメリカの無差別爆撃を受け
都市という都市は焼き尽くされた。
一晩で殺戮した数では東京大空襲が10万人以上という世界最大の犠牲者を出している。
ちなみに東京は107回も空襲を受けている。
そして空襲だけでなく
民間人を狙ったアメリカ軍戦闘機による機銃掃射で女、子供を含め多くの犠牲者を出している。
そんな中、
学徒から志願した少年飛行兵達は
片方の翼に増槽タンクに燃料を搭載し
(敵空母に火災を起こさせる為)
残るもうひとつの翼の下に25番(250キロ爆弾)を搭載して
爆弾と燃料で重くなった旧式の機体を操り、
レーダー探知され何十倍という敵艦載機の網をくぐり抜けれても
四方八方からの敵艦による対空砲火も待ち受けている。
本懐を遂げれる確率は非常に低いというのも解っていながら
それでも出撃した。
それはお国の為というよりも
肉親や幼い兄弟に
爆弾や焼夷弾、機銃掃射の雨を降さんが為に
己の命を犠牲にしても
愛する人をただ、ただ守りたいという
崇高なる精神が彼らを突き動かしたのではないかと思う。
只 一筋に往く
胸が締めつけられる。
こんな飛行機も置いてあった。
とこしえに 永久に
沢山の慰霊碑が並んでる。
一昨年は大刀洗にも寄った。
特攻出撃の直前の撮影
今から死にに行く人の顔に見えるだろうか・・。
教官を含む全員が出撃した。
今の日本は報いる事が出来るだろうか。
航空自衛隊の方々がたむけている。
半身のは遺族以外から
全身のは遺族かららしい。
綺麗な水が吹き出している。
今は平和で緑も綺麗やね。
本当に全国から往った。
たった69年前の事。
たった69年前の事。
色々考えさせられる。
0 件のコメント:
コメントを投稿