昔の航空機用のカメラはでかいなぁ。
軍艦旗は3箇所で継いでいる。
染めやなしに色の違う生地を縫いこんでいるなぁ。
櫻花
一式陸攻を母機に腹に吊るして・・
敵空母群まで近寄ってから3基のロケットエンジンに点火し
その推進力で敵艦に体当たりする必死の兵器
1.2トンの炸薬を積んだまさに人間ロケットである。
機首にある爆弾がほとんどの本当に小さい人間爆弾なんやわ。
しかもロケット噴射が数十秒しか無く
航続距離は37キロ~60キロキロしか満たない。
護衛する戦闘機もなく
爆弾搭載量800キロの一式陸攻に2.3トンの桜花を積んだ攻撃隊は
動きが鈍重でことごとく撃墜された。
神雷部隊出撃の様子
楠公さんの旗印「非理法権天」
非理法権天
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め 置かまし 大和魂 ...
非理法権天」の旗の元、後醍醐天皇への忠誠を貫く楠木正成公は
弟の正季卿らご一族と「七生報國」を誓って1336年湊川で殉節された ...
「湊川ですな」
たとえ国賊と罵られても桜花攻撃は司令部に断念してほしい。
援護戦闘機が陸攻編隊を守りきれるか疑問で
仮に敵まで辿り着いたとしても
司令部は桜花を投下した攻撃機は速やかに帰りまた出撃するという、
そんなことは出来ない、
桜花投下と同時に自分も目標に体当たりすると八木田喜好に語った。
野中は桜花の運用を知って「この槍、使い難し」と嘆いた。
「日本一の俺が最精鋭を連れて行っても桜花作戦は成功しない、必ず全滅する」
という批判を同僚にしていたが
まさにその通りの結果となった。
必死必中を達成できないと分っていて
出撃せねばならない無念はいかばかりだったであらうか..。
埼玉県にある修武台記念館に一機が保存されているそうである。
黄色く咲き乱れるのは誰が名付けたか「特攻花」
沖縄特攻作戦が始まる頃に花が咲いて
終わる頃に散るそうである。
これだけの数の基地から特攻機が飛び立ち沖縄特攻作戦へ
他には台湾の基地からも
海軍機のべ940機
陸軍機のべ887機
3067名の若く尊い命が沖縄の海に散った。
他にも戦艦大和含む水上特攻で3千人以上の命も失われた。
それなのに沖縄では旧日本兵を“鬼畜”扱いする“
反日教材”を使った教育も行われているのが悲しい。。
戦争はとても残忍で悲しい。
もう二度と起こしてはならないと思う。
が・しかし、
軍首脳部の批判はまぁ良しとしても
亡くなられた方々は我々と同じく一般人である。
親兄弟も居れば子も居る人も居るし、誰も進んで戦争になんか行きたくない。
しかし守るべきもの、愛する人たちが居る。
それが大東亜戦争では日本国から遠く離れた地で
多くの方々が護国の盾として戦い散華された事を決して忘れてはならない
そして平和と繁栄を享受している我々は、
8月15日の終戦の日のみではなく、
日々追悼と感謝の念を抱いていくべきたと小生は思うのです。
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/isyo/kyoudai_koibito_isyo.html#
他にも、
鹿屋を無差別爆撃され多数の民間人が亡くなった。
その中のB29を日本軍が打ち落とし
住民がここぞとばかり八つ裂きにするのかと思えば・・
ある人の一声で
その残骸の中から敵の遺体を丁重に葬った話などがあった。
「輝北町文化財調査報告 恩讐を超えて」
見学させてもらって
色々考えさせられる事が多々あるなぁ。
今は戦争時代やなくて平和で物もあふれているけど
どうも幸せじゃないような気もする。
今の日本ってホンマどうなんよ。。
しかし
今一度、自分を見つめ直す意味でも訪れてよかったなぁ。。。
皆さんも是非。
0 件のコメント:
コメントを投稿