2017年3月8日水曜日

回天記念館 ②



入館料300円を納めて中へ

写真撮影もOKらしい。

個人情報うんぬん・・

・と丁重な館長に説明を受ける。


二人で居るとやはり怪しいのかも。。






これは当時の写真

回天の上に乗り手を振って別れを告げている。


伊370潜水艦

1945年2月20日

回天5隻を積んで出撃

2月26日

アメリカ軍の駆逐艦による爆雷攻撃で沈んだ。

艦長の藤川進大尉以下回天搭乗員5名、回天整備員5名を含む乗員94名全員戦死。

沈没地点は硫黄島南方沖合





凄い事やと思うなぁ。













嫌な時代。。












国家の存亡・・





まずは動画





ミッドウェー海戦で空母4隻も失う大打撃を受けたんやねぇ。





破竹の勢いの緒戦から

最後は特攻へと突き進んで行く道のりがよくわかる動画デシタ。


悪魔も真剣に見てる。


















こういう人が居てくれたからこそ現在があるんやねぇ。









黒木大尉は、仁科大尉らとともに人間魚雷構想を上申し、

戦争末期に漸く軍部から製造を認められた、いわば回天の生みの親です。

そして事故で亡くなるんやけど・・

最後まで回天の問題点を書き続けた。








敗戦濃厚なのは分かっていたはず









海軍の装備品












回天の生みの親の二人

最初は軍部は反対したんやけど・・二人の情熱にほだされたみたい。





祖国を守りたいの一心から





沢山志願したんやなぁ。

今とはまるで価値観が違うんやね。









パネルで歴史が分かりやすい。





当時の基地の様子





マルロク兵器





速いなぁ。





亡くなられた方々の写真





小さな潜望鏡。





こんなんで敵を探さなくてはいけない。

故に成功率は低かった。。





ハッチ





映画の為に作られた模型





狭い空間に





ごちゃぐちゃしてる。

中からも開けれるハッチ





実物はもっと狭いのか。。









回天の生みの親は事故で





薄れゆく空気の中で書いた。













当時の旗は二色の布で縫われてる。





重い言葉
















親に宛てた遺書やろね。

本当に考えさせられるナァ。



つづく






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