次は回天記念館へ
山口県周南市大津島の回天記念館(かいてんきねんかん)は、
旧回天搭乗訓練員の宿舎跡に建てられました。
回天とは、天を回らし、戦局を逆転させるという願いを込めて、太平洋戦争中に開発されました。
魚雷に大量の爆薬を搭載し、自らが操縦して敵に体当たりするという特攻兵器で、
海の特攻とも呼ばれています。
記念館の中には、特攻兵器である回天の説明に加え、搭乗員が家族に宛てた手紙が展示されています。
悲しい記憶を後世に伝えられる貴重な記念館です。
たくさんの桜並木が迎えてくれる。
調べたら周南市で一位の観光名所らしい。
回天戦で亡くなられた方々の名前と出身県
回天の搭乗員として訓練を受けたのは終戦までに1375人にものぼり、
出撃他訓練中の事故や整備士もあわせ145人の方々が亡くなられています。
平均年齢は21,22歳らしい。
回天の実物大模型
世界一の性能を誇った九三式三型魚雷
超大型の酸素魚雷
平和祈念の鐘
優しく突いてみる。
あの謎の爆沈した陸奥の砲金を溶かして作ったのかぁ。
謎が多い戦艦陸奥の爆沈。
ココも行ってみたい。
回天を積んだ母船もろとも撃沈される事も多かったそうやわ。
沢山の方が亡くなられてる。
全長14.7m、直径1m、排水量8t、炸薬量1.5t、
酸素魚雷を改造し、
魚雷の本体に外筒を被せて気蓄タンク(酸素)の間に小さな独り用のいすを置き、
その前に操船装置や調整バルブ、小さく短い潜望鏡を設置した。
最高速度は時速55km/hで
発射後は約23Kmの航続力があった。
よくハッチは外からしか開けられず、とかあるが・・
あれは左頭の人の妄想で
実際は外からも中からも開けられた。
しかし回収の方法は無く、燃料切れで多くは海底に沈んだ。
乗組員は自決用の短刀を持って搭乗した。
ただし発進出来てもこの小さな潜望鏡一本で敵を探し
潮流や大型船の出す波などで
命中出来たのは僅かだと記録されている。
回天の総合戦果は、判明している戦果は給油艦ミシシネワ、護衛駆逐艦アンダーヒル など
撃沈3、大破1、小破4。 アメリカ側の秘密文書公開と
戦後の「全国回天会」の調査 により、以下が判明している(母艦の雷撃による戦果も含まれる)。
回天を使わず雷撃でしとめた艦長も。
いくら命令でもねぇ。
使いたくないわなぁ。
日本軍は人命軽視やなぁ。
戦争はいかんわ、、
南方戦線で亡くなった方のほとんどは飢えとマラリアなんかの病気やもんなぁ。。
最近日本が右極化してるのもなぁ。
こういう戦争の悲惨さを見て感じて欲しいんやけどなぁ。
複雑やなぁ。
くわしく書いてあるサイトがあったよ。
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