2016年11月11日金曜日

特攻殉国の碑 と 伏竜特別攻撃隊



大通りを走ってると・・







こんな看板が







探さずに来れた。







特攻殉国の碑



ここ長崎県の川棚町は戦時中魚雷などを製造、試験する施設が多数作られた。








公園の様になってる。












自衛隊員に向け凄いことが書いてあるなぁ。







ベニアで出来たモーターボートに爆薬を積んで特攻する

震洋特別攻撃隊の訓練も。













川棚町の観光協会HPにはこう書いてある。



太平洋戦争中、小串に置かれた海軍特攻隊の訓練に励み、

遠く南海の果てに散った三千人もの隊員を顕彰する鎮魂の碑。

昭和42年、南海の激戦地コレヒドールと沖縄の石を使って建立されました。

今も訪れる人の姿が絶えません。








昭和19年、日々悪化する太平洋戦争の戦局を挽回するため日本海軍は

臨時魚雷艇訓練所を横須賀からこの地長崎県川棚町小串郷に移し

魚雷艇隊の訓練を行った。


魚雷艇は魚雷攻撃を主とする高速艇でペリリュー島の攻撃、

硫黄島最後の撤収作戦など太平洋、印度洋に活躍した。


更にこの訓練所は急迫した戦局に処して

全国から自ら志願して集まった数万の若人を訓練して震洋特別攻撃隊、

伏竜特別攻撃隊を編成し、また回天咬竜などの特攻隊員の訓練を行った。

震洋特別攻撃隊は爆薬を装着して敵艦に体当たりする木造の小型高速艇で

7千隻が西太平洋全域に配備され、

比国コレヒドール島沖で米国艦船四隻を撃破したほか

沖縄でも最も困難な状況のもとに敵の厳重なる警戒を突破して特攻攻撃を敢行した。

伏竜特別攻撃隊は単身潜水し水中から攻撃する特攻隊でこの地で訓練に励んだ。



今日焦土から蘇生した日本の復興と平和の姿を見るとき、

これひとえに卿等殉国の英霊の加護によるものと我等は景仰する。


ここに戦跡地コレヒドールと沖縄の石を併せて、

ゆかりのこの地に特攻殉国の碑を建立し遠く南海の果てに

若き命を惜しみなく捧げられた卿等の崇高なる遺業をとこしえに顕彰する。




昭和42年5月27日  有志一同
元隊員一同









特攻作戦で亡くなられた人の名前だろうか?

びっしりと刻まれている。






やっとこ。










資料館があるが・・前もって予約せんとあいてないんやなぁ。







ベニア製でトラックのエンジンを積んだ即席ボート







こんなんで突入するのかぁ。

パイロットになるつもりが・・これは無念やろなぁ。。



空の特攻

神風特別攻撃隊が良く見える。


その神風にしても

旧式のオンボロ戦闘機や赤とんぼという練習機の人も。。







最後の特攻「赤トンボ」の戦い
神風特別攻撃隊第三竜虎隊 九三式中間操縦練習機(通称:赤とんぼ)











そこまでして守りたかったんやなぁ。







ココで頂いた戦時遺構巡りが役に立った!







資料館も見たかった。












綺麗な花がたむけられている。











裏にも名前がびっしり

名前の数の何倍も悲しんだ人の数があるんやろね。








線香やローソクに火をつけて








謹んで哀悼の意を捧げた。







トイレもある。







綺麗に管理されてる。








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海に出た








今夜の宿













黒ネコと茶トラが居た。

もう日が暮れるから見学は明日やね。








200mくらい離れた場所の公園にトイレがある







漁港や。







かなり評判がエエなぁ。。。





贅沢に泊まってみたいなぁ。







漁港の隣の公園に悲惨なトイレがあった。











晩御飯はこれだけ。

ちびりやりながら考えてた。







ココはあの伏竜特別攻撃隊の訓練地やったんやなぁ。







人間機雷や。

あまりにも酷い、、


ボンベではなく自身の息を浄化する装置とか重いモン着て

訓練中、溺死事故が多かったらしい。





優秀な若い人を殺して

指導者の後で逝くと言った卑怯者が生き残り

戦後、国の中枢に座った。









それでこんな国になったんやなぁ。








伏竜特別攻撃隊










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