2014年8月10日日曜日

焼き場に立つ少年





報道写真家 ジョー・オダネル氏撮影 「焼き場に立つ少年」 (1945年長崎の爆心地にて) 

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。
それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。

炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、
ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、
沈黙のまま、焼き場を去っていきました。


(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]












この写真を撮影したカメラマンは長年苦しんで

そして43年の封印を解き、写真を公開する事を決意します。

けれどもそれはアメリカでは受け入れられない行為でした。

皆から嫌がらせを受け、妻までもが去って行った。





「誤解しないでほしい。私はアメリカ人だ。

アメリカを愛しているし、国のために戦った。

しかし、母国の過ちをなかった事にできなかった。

退役軍人は私のことを理解してくれないだろう。

私は死の灰の上を歩き、この目で惨状を見たのだ。




戦争に勝つ為に、本当に彼らの母親を殺す必要があっただろうか。

1945年、あの原爆は、やはり間違っていた。

それは100年たっても間違いであり続ける。



歴史は繰り返すというが、繰り返してはいけない歴史もあるはずだ。」







たった69年前のあの悲劇を忘れてる人が居る。

何も考えてないと誘導され巻き込まれる。





解かされた封印 ~米軍カメラマンが見たNAGASAKI 投稿者 dm_511f8257553bb



長いですが是非見て下さい。




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