ラダ・ビノート・パール判事
連合軍が戦後おこしたいわゆる「東京裁判」の中の唯一の国際法の専門家。
後で作った事後法で一方的に日本軍を裁き絞首刑にした。
A級戦犯と言う存在しないものまで作り上げた。
パール判事こう述べている。
「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」
・との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。
国際法上、日本を有罪であるとする根拠自体が成立しない”という判断によるものである。
唯一の国際法の専門家。
勝てば官軍何でもありなんやね。。
海防艦がある。
元は商船に貧弱な砲を積んだだけの船。
制空権、制海権のない不利な状態の中で
見張りの任務について
その多くが沈められた。
義烈空挺隊
米軍による無差別爆撃
民間人に対する暇つぶしに機銃掃射を行って多くの犠牲者が出た。
湯の花トンネル列車銃撃事件
それらを防ぐ為に沖縄の飛行場に突入した。
二度と帰れない決死・必死の作戦である。
死地に向かう直前に撮影された写真。
これが今から死にに行く表情だろうか・・。
当時みんな栄養失調だった。
貴重な高カロリーの航空食を基地の整備兵に分け与える義烈空挺隊の隊員達
「自分たちはそんなに長く生きてはいないから必要ない」
「御世話になりました」
と語ったという。
多くの日本人が知らないのが残念である。
遊就館に向かう。
観たいなぁ。
激戦の地・ソロモン諸島。
多くの日本兵の亡骸は未だに放置されたままに。
零式艦上戦闘機52型
美しくも儚い。
フィリピンのマニラから31年掛かって日本に流れ着いたヤシの実
中の展示物や特攻隊員の遺書を読んで感じて欲しい。
一度尋ねる事をお薦めシマス。
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