特攻機は旧式の機体が多い。
隼の主翼下に
増層燃料タンクと250キロ爆弾を抱いて・・
巨大な碑があった。
晩年までずっと通い続け慰霊された富屋食堂の鳥浜トメさん
僕はまだ19だから残りの30年をあげるから、
長生きして下さいと特攻隊員より贈られた言葉。
みんな沖縄の海に散った。
元々は太刀洗にあった飛行学校の分校として誕生した。
でも戦況の悪化にともなって
沖縄から近いここから多くの特攻機が出撃した。
特攻像「とこしえに」
み霊のとこしえに安らかならんことを祈りつつ
りりしい姿を永久に伝えたい心をこめて
ああ、開聞の南に消えた勇士よ
国を憂い 父母を思い 永遠の平和を願いながら・・
映画 「俺はきみのためにこそ死にに行く」で製作された隼
25番250キロ爆弾
左に燃料タンクを積んでいるのは火災を起こさせる為である。
よく片道燃料で行かされたとあるがあれは捻じ曲げられた嘘。
富屋食堂の有名な話の一つに朝鮮国籍である特攻隊員
光山少尉の悲しい話がある。
光山少尉には京都に妹が居た。
1年前に母を亡くされ妹も出撃の1ヶ月前に病死された。
光山少尉は病床に見舞う事も臨終に立ち会う事も葬儀にも行けなかった。
光山少尉の御身内は居ない。
しかし戦後、光山少尉と同じ姓を持つ縁もゆかりもない日本人が
光山少尉の慰霊碑を親族が眠る古里の地に建てた。
その碑文には・・
アリラン カミカゼ パイロット 光山大尉と。
朝鮮国籍の特攻隊員は知覧基地より11名が散華された。
僕の生命の残りをあげるから、
おばさんはその分、長生きしてください
――特攻隊少年飛行兵たちはこの上なく美しく、
限りなく哀しい言葉を遺して空に散っていった。
その散華は国や天皇のためではなく、愛する妹、愛慕する父母、
愛しい恋人のための勇敢な飛翔であった。
そのあまりにも純粋で無垢な魂の呻吟を遺された手紙、日記、遺言、
関係者の談話により現在に刻印した不滅の記録。
和歌山県和歌山市の小説家の方。
知覧基地にゆかりがある。
今日われ生きてあり
石原慎太郎氏
子供の頃グラマンに機銃掃射されたそうやわ。
そしてまさに撃たれると思った瞬間、
日本軍機がやってきて敵は退散。
その飛行機に描かれた日の丸が今も目に焼きついているそうです。
映画
「俺は、君のためにこそ死ににいく」
鐘があった!
やさしく突いてみた。。。
ペコリ。
特攻隊員の手紙~三歳の娘に送った手紙~
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