2019年8月22日木曜日

2019年 九州の旅 #75 久留米の戦争遺跡 遥拝台



森の奥の方に遥拝台(ようはいだい)があるというので行ってみた。
軽トラが通れるほどの道幅




レンガ造り




重厚感があるなぁ。








遥拝台

皇居に向かって拝むんやねぇ。




こんな遠い地からも毎日皇居に向かって拝んでたんやな。

終戦まではどこの家にも天皇の写真があって
祭日には国旗を掲揚してたんやもんな。




少しバラついてるのがいい雰囲気




拝むだけにしては分厚いなぁ。




こういう歴史的な価値のある貴重なものに落書きするバカはどないかならんのかなぁ?




アーチ部分がいいなぁ。




階段を上る




よく見ると擦り減ってる







それほど多くの人が上り下りしたんやね。




師団って25000人も居るからかなぁ?




外に出た。




グラマンの機銃掃射なら耐えられそうな分厚さ




宮城遥拝
(きゅうじょうようはい)

宮城と書いてキュウジョウ

これはかつて明治中期頃に使われていた皇居の呼び名

遥拝は遠方(東方)の地に向かって拝む事




皇紀2601年

とは1941年 昭和16年 日米開戦の時か。真珠湾攻撃の年

皇紀2600年とは1940年 昭和15年で
神武天皇即位紀元


その年を海軍は零

陸軍は百という

海軍の零戦は昭和15年正式採用なんで零式艦上戦闘機でゼロ戦


陸軍は100式司令部偵察機とか。

97式とか言うと

100から三年前の事なんやね。




鉄は残ってるなぁ。




登ってみる




皇居に向かって敬礼!




頭下げるだけやけど




陸軍の土地が競輪場になったんやなぁ。
博打場かぁ。

久留米市はそれでものすごい潤ったらしいが・・。

飲む・打つ・買うの三点セットか。


ワシは打たんのやな。

博才が無いからなぁ。。




ヘンテコな白い観音がある。

調べたら・・

久留米といえば久留米ラーメンではなく、成田山久留米分院でしょう。

全長62メートルの巨大で真っ白な救世慈母大観音様を中心に、

本場インドのブッタガヤ大仏塔と同型の塔、

そして血しぶき飛び交い悲鳴が交差する地獄めぐりも兼ね揃えた、

福岡を代表する珍スポットです。


・とある。


どこにもマンガみたいな場所があるもんやなぁ。





おいおい、、




ワシも「たかし」やが...。







今度あの珍スポットに行こうかな。











今は拝む人居ないんやろなぁ。
価値観って変わるんやなぁ。








下りる




擦り減った階段
今は上る人はまれなんやろなぁ。




分厚い








家にほしいなぁ。




綺麗な反り返り












今は国旗もあがってない。
寂しいもんやなぁ。




帰りにまたヤツが居た!




どうも黒い物に惹かれる




くま吉のせいやろなぁ。。。




ココに詳しく行き方が書いてある。









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