2015年10月3日土曜日

大和ミュージアム ⑨




不沈艦と歌われた大和も沈んでもうたなぁ。


しかも航空機の攻撃によって。。

同じ沈むにしても戦艦対戦艦で戦いたかったやろなぁ。。








深く暗い引き上げられた遺品












沖縄特攻作戦





沖縄に群がる敵船団の壊滅と

沖縄に上陸したアメリカ軍の基地への砲撃を命じられていた。


最後は浜に乗り上げ

沈まないようにして砲台となり最後の一発まで全弾撃ち尽くす気でいた。



二度と戻れない片道燃料を積んで出撃された。








しかし港を出た時から敵潜に探知されていた。








火薬庫の誘爆にヨリ巨大な・厚さ40センチを超える装甲の船体もちぎれた。








大爆発する戦艦大和






救出に駈けずり回り、見守る味方駆逐艦・冬月の全長は134m




爆発の雲は940m、、

雲底に達している。













その無念さは計りきれない、、。






















船首にある木製の巨大な菊の御紋が見て取れる。








三千三百余名の方が亡くなられた。








これは後で作られた話だとも言われているが・・。


しかしこういう方々が亡くなられ

卑怯者が生きて戦後の日本の中軸に居座り

アメリカの犬となった。



現在の総理である安倍晋三のじいさんは岸元総理で

自分だけ戦犯の罪を逃れるため同僚を売った事で有名やね。。








沖縄特攻作戦





この作戦は・・





天皇陛下の


『もう海軍には船は無いのか』




・で決まった様なモノだ。

ペリュリュー島やら日本軍が玉砕した島々にも常に電波を発信し鼓舞していた。



のうのうと生き恥をさらした昭和天皇。

当然戦争責任はあるんよね。







天皇が求め、軍令部が立案した当作戦





それを率いた司令官は航空機の援護を見込めない当作戦は犬死だと言って猛反対した。

通常は軍令部には逆らえない。

しかし部下を犬死させる作戦に司令官も必死やったんやろうなぁ。。




最後は一億総特攻の魁となって欲しいと言われ


同行する周りの駆逐戦隊の司令官に

お供します

・と言われて渋々死に場所を決めたんやなぁ。。









先にシブヤン海で沈んだ同型艦・武蔵と同じく

航空機対戦艦では勝ち目が無い。







一方的な猛攻を受けるのみである。


日本は開戦当初の真珠湾攻撃で航空機の優位性を世界に初めて認めさせた国。

それなのに大艦巨砲主義を捨てきれなかった。。









在りし日の大和が出撃した作戦












空母部隊よりはるか後方に居ていつもお飾りだった。



















米軍は作戦に失敗すると司令官が更迭され格下げとなる。

日本はそうならんのよねぇ。



そして思いつきの様なずさんな補給無き作戦で

200万人からの将兵を飢えや病で失った。




誰も責任を取らない国

それは今も変わりませんね。。。。















































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