2015年8月15日土曜日

70年目の終戦の日を迎えて。
















この日くらいは考えてみませう。









戦前、アジアでは独立国は日本とタイのみ。

侵略されそのほとんどが植民地だった。


日本が欧米列強相手に戦争をし

それで他のアジアの国々も自信を付けて

独立戦争を戦った。


戦争に負けてからも祖国に帰らず独立戦争を戦い

今も英雄墓地に祀られている人も数多い。













東京裁判(極東国際軍事裁判)最高責任者マッカーサー元帥証言

〈(前略)

潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、

私がこれまで接したいず­れにも劣らぬ優秀なものです。

歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠­けてゐる時よりも、

働き、生産してゐる時のほうがより幸福なのだとゐふこと、

つまり労­働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見してゐたのです。

これほど巨大な労働力を持ってゐるといふことは、

彼らには何か働くための材料が必要だ­といふことを意味します。

彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました。

しかし彼らは­手を加へるべき原料を得ることができませんでした。

日本は絹産業以外は、固有の産業はほとんど何も無いのです。

彼らは綿が無い、羊毛が無­い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。

その他実に多くの原料が欠如してゐる。­

そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。

もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、

一千万か一千二百万の失業者が発生するであ­らうことを彼らは恐れてゐました。

したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、

大­部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。〉

(東京裁判日本の弁明 「却下未提出弁護側資料」 小堀桂一郎編 講談社学術文庫)





■タ イ
◎ククリット・プラモード 元首相

「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。

日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。

今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、

一体だれのおかげであるのか。

それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。

12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、

一身を賭して重大決意された日である。

さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。

われわれはこの2つの日を忘れてはならない。」




台湾実業家
許 文龍氏

「戦前の日本の台湾統治に対し謝罪する必要などありません。

台湾の基礎の殆どは日本統治時代に完成したものであり、

日本人が来てまず治安が一挙に良くなり衛生状態も良くなった。

守るべき法ができ、税金も清朝統治時代に比べてかなり良くなった。

しかし残念な事に戦後の日本政府は、深い絆を持ちながら

世界で一番の親日国家である台湾を見捨ててしまいました。

謝罪すべきは台湾を統治してきた事ではなく、台湾を見捨てた戦後の日本外交なのです。」





元マレーシア外務大臣
シャフィー氏

「とくに私が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、

それを日本の政治家が否定することだ。

責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。

『その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。

日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。

それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。

諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか。

日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、

負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。

そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。』」




韓国
朴 鉄柱氏

「大東亜戦争で日本は敗れたと言うが、

敗れたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。

彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。

『戦争に勝った負けたは、戦争目的を達成したかどうかにより決まる』とは、

クラウゼビッツの戦争論である。

日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。

日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ『聖なる戦争』であった。

二百数十万人の戦死者は確かに帰って来ないが、

しかし彼らは『英霊』として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」










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