あの忌まわしい大震災から今日で20年かぁ。。
最大激震の赤い帯の真っ只中の垂水区に住んでいた。
正直死んだと思った。。
あの揺れは一生忘れんやろなぁ。
高速道路は倒れて
あちこちから火の手が上がった。
まだ朝の早い時間やったというのが唯一の救いやったのかもしれない。
もしも通勤ラッシュの時間帯ならば・・犠牲者は何万も増えたと思う。
でも神戸は地震が起きないというのが大方の考え方で・・まさか・という感じでした。
ビルが倒れるなんて思ってもみなかった。
地震など遠い地域の話と思ってた。
その後あちこちから火の手が上がる。
最初の発端は停電からの復旧でという地域もあったと聞いた。
夜、知人の無事を確かめに4時間かけて行った
長田の山の上から見た光景も忘れないやろうなぁ。。
・・その教訓はあまりにも役に立ってない様に思う。
東日本大震災では神戸より輪を掛けて孤独死の問題が多い。。
バラバラの地域の人を入れるからなぁ。
コミュニティーの崩壊。
震災が起こって見える事は
今まであった地域の根深い問題を浮き彫りにさせているだけ、
それが加速度的に進むと言う事。
神戸の住民は震災を知る世代は全体の4割
20年目の今年、
復興住宅の借入期限も切れて追い出されるという問題もある。
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街が綺麗になったからといって復興ではない。
東日本大震災もそうならない事を切に願いつつ
犠牲になられた6434名の御霊安らかに....。
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