2014年6月22日日曜日

串良海軍航空基地 地下壕電信司令室跡 ②




「串良海軍航空基地 地下壕電信司令室」




串良海軍航空隊は、はじめ教育航空隊として開隊されましたが、
戦争末期には実践部隊に編入され、
本土決戦に備え串良海軍航空基地の整備が進められました。
そして沖縄戦での特攻基地になりました。

この地下壕は、当時串良海軍航空基地の電信司令室として、
特攻隊員との連絡を取っていた場所なのです。



それでは往って参りマス。


カメラは FUJIFILM X-E1と標準ズームレンズXF18-55mmF2.8-4 
と OLYMPUS OM-D E-M5 超広角レンズLUMIX G VARIO 7-14mm/F4.0 ASPH





左へ




18mの長い地下への階段。




FUJIFILM X-E1 XF18-55mmF2.8-4 の18mm  フルサイズ換算で27mm




OLYMPUS OM-D E-M5 LUMIX G VARIO 7-14mm/F4.0 の7mm  フルサイズ換算で14mm




天井の豆を見たら玉砂利使ってる。




型枠は杉のバラ板やね。




降りた場所に




左には小部屋がある。






2m×1.5mの小さな部屋でした。 機械室かなぁ?




奥には通路
幅1.1mの長さは20mほど。




陽の光が差し込んでいる。 換気の為の穴があるようだ。




奥へ進む





ここもそう大きくない部屋





板の間から奥へ




15m×4mの大きな部屋があった。




実際の明るさはこのくらい。







かつては電信機がずらっと並び、電信員が大勢つめていた部屋です。

特攻機が敵艦に突入する時
搭乗員は自機の符号を発信し、続いて突入する目標を知らせます。
そして目標に向かって突入中は、電鍵をツーと押したままで、
ツー・・・・・・・が途絶えた瞬間が、すなわち突入に成功したか撃墜されたかのどちらか。

つまり命が消えた瞬間です。

この場所こそが、まさに出撃した機上の特攻隊員の
最後の電信の途絶を確認した地下電信司令室なのです。


南海に散った363名の御霊

深く哀悼の意を捧げ写真を撮りました。





.無念の齒噛(はが)み堪(こら)へつゝ 待ちに待ちたる決戰ぞ
 今こそ敵を屠(ほふ)らんと 奮ひ起ちたる若櫻

此(こ)の壹戰に勝たざれば 祖國の行く手如何(いか)ならん
 撃滅せよの命受けし 神風特別攻撃隊






.送るも征くも今生(こんじやう)の 別れと知れど微笑(ほゝゑ)みて
 爆音高く基地を蹴る 嗚呼(あゝ)神鷲の肉弾行

大義の血潮(ちしほ)雲染めて 必死必中體當(たいあた)り
 敵艦何(な)どて逃すべき 見よや不滅の大戰果






凱歌は高く轟けど 今は還らぬ丈夫(ますらを)よ
 阡尋(ちひろ)の海に沈みつゝ 尚(なほ)も皇國の護り神





熱涙傳ふ顏上げて 勳(いさを)を忍(しの)ぶ國の民
 永久(とは)に忘れじ其(そ)の名こそ 神風特別攻撃隊

 神風特別攻撃隊






鎮魂


殉國の英霊に感謝の誠を捧げるのは日本人として当然だと思います。

戦争で犠牲になられた先人にも同じ気持ちです。




次に進む。





左へ




部屋の横が通路と換気口になってる。






20mにも及ぶ通路は後で見学する。




地上へと続く階段があった。




現在地は左端の階段の下に居る。








上って行く。





電灯のおかげで明るい。





外へとつながっている。




この家の敷地は広いなぁ。





戻る。




超広角レンズは足が写るね。




手前の通路へ





OM-D 実際はこのくらいの明るさ。 F4 ISO6400




XE-1 極端に明るく写る。 F2.8 ISO6400




電信室とは分厚いコンクリートで繋がっている。




足元はじめじめしている。 ヤスデが居た。。




上には穴が開いている。





換気の為に地上までつながってる。




雨も入ってくるね。




深さはどれくらいかなぁ?




電線に使う碍子が落ちてた。






撤去された残骸。
残しておけばいいのに・・敗戦国っていつもこうなんやね。






戻って電信室をもう一度。







かわいいコウモリが飛んでいた。




コンクリートの程度がとてもいい。
後100年でも持つんやないかなぁ。




隣の通路とつながる通気口





木片がいっぱい。








分厚いなぁ。
爆撃にも耐える様に作られている。












この階段を上がれば入口へ戻る。





18mほど。










階段正面に分厚い壁
左右に入口となっている。

これは爆風が直撃で中に入らない為にそうしているんやね。






かなり頑丈に造られている。





素晴らしいモノを見せて貰った。





地下壕を見るたびに思う事があるなぁ。



遠い南の島で地下壕や洞窟で戦った方々の事。

未だに祖国に還れずにいる英霊が何十万と。


東京都に属する小笠原諸島 硫黄島は

18キロにも及ぶ地下陣地に生き埋めにされ現在も1万人以上が眠る。

そしてその上に米軍が滑走路を敷いて

今は自衛隊機の基地として利用されている。

遺骨の上に着陸してる現状に隊員の方も悩まされていると聞く。



沖縄にしても放置したままの場所も多々ある。



本気で遺骨収集して祖国に返してあげないと本当の意味での戦後は来ないように思う。









還りたいと思う。














2 件のコメント:

  1. 最初は気持ち悪いもの見たさで拝見した次第ですが、読み終わる頃には感慨深い気持ちになりました。これからも頑張ってください。

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  2. ありがとう御座います。

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