長崎の原爆資料館や平和公園はヒロシマに比べたら随分小さかったなぁ。
原爆ドームも無いし・・。
力の入れ方が違うんやね。
さて次へ
爆心地より800m離れたトコロに有名な被爆クスノキがあるらしい。
銀行横にあるコインパーキングに車を止めてすぐ目の前。
車で行けない。。
鳥居が半分しかない。
本当に当時のままの姿で保存してある。
無いね。
上に何かのってたはずやが・・
世界中が平和でありますように。
子供たちの願いを潰すのはいつも大人ダ!
1924年 大正13年
山王神社の参道には、一本柱鳥居と呼ばれ親しまれている鳥居がありますが
もともとは4つあった鳥居のうちこの鳥居だけが片方の柱を残し今も同じ場所に立っているのです。
半分はこんな場所に放置されている。
ナンかショック。
惨いなぁ。。
坂本町民原子爆弾殉難之碑
原爆投下から7年後に建立
坂本町山王地区町民700 余人の慰霊のため、
三の鳥居の折れた柱を使って1952年に地元自治会によって建て られた。
これが被爆大楠かぁ。
向かって左側が原爆によって折れてる。
電車を開設した。
今の貨幣価値にしたらすごいんでしょうね。
原爆で痛んだ治療をしてるらしい。
少しばかり募金する。
大きい。
原爆の生き証人としてこれからも・・。
100キロ近くありそうな石
爆心地から800m
2000度以上の高熱と爆風にやられた。
さっき見た100キロ近くありそうな石がココにめりこんだ。
よく生きてるナァ。。
無い。
長崎市出身の歌手、福山雅治さん(45)が、
被爆で黒こげになりながら芽吹いた「被爆クスノキ」をテーマにした新曲を2日、発表した。
福山さんは過去に自らを「被爆2世」と語っていたが、原爆についての曲をつくるのは初めて。
クスノキは、長崎の爆心地から約800メートル離れた山王神社に2本ある。
樹齢は約500~600年。原爆投下で枯れ木のようになったが新芽を吹き、
復興に向かう被爆者を勇気づけた。
いまも平和や再生の象徴として親しまれている。
新曲「クスノキ」は、福山さんの作詞・作曲。2日発売のアルバム「HUMAN」の1曲目を飾る。
知らなかったなぁ。
痛々しい傷跡。
焼け爛れたんやね。
こちらの方が大きい。
左側
右側
石がめりこんだ右側の大楠
山王神社の境内入口に南北に向かい合って立つ2本の楠。
南側は胸高幹周8.2メートル、北側は同6メートル程で樹高はともに10メートル前後、
樹齢はそれぞれ500年から600年とみられる(昭和44年(1969年)当時)。
両木とも幹周に比べると樹高が10mと低いがそれも原爆の爆風により上部が欠損した為で、
熱線により幹肌を焼かれた名残もある。
原爆投下後、写真家の林重男やアメリカ戦略爆撃調査団が撮影した写真
(ともに長崎原爆資料館所蔵)では立ち枯れているが、やがて樹勢を盛り返し、
それぞれ大小の支幹から枝を張り出して東西40メートル、南北25メートルに及ぶ樹冠を形成し、
今日でも豊かな緑を湛えており、神社ではその生命力に肖った「大くす守」と称する御守を出している。
平成18年の台風13号により枝が折れた為に樹木医による治療を受けたが、
その際に幹の中に新たな空洞が見つかり、洞内から被爆当時のものと見られる表面が焼けた石や
瓦礫などが見つかった。
巨樹としてのほか原爆生き残りの樹木としての意義も深いと昭和44年に「山王神社の大クス」として
「山王神社被爆の楠の木」として環境省の「日本の音風景100選」に選ばれている。
また、長崎原爆資料館や学生サークル、市民団体、地元小学校等がその種子から育てた
当時の写真
よく生き残ったなぁ。
強い、、本当に強い。
てぬぐいも治療費になるらしい。
原爆で全部無くなって再建したそうな。
てぬぐい売ってた。
元は一枚のを半分にした般若心経
有名な書家の方に頂いたそうやわ。
神社にはアレやけど個人的に・・らしい。
被爆した当時が描かれている。
原爆以前からのはほんの少ししか残されていないようやわ。
昭和3年のも残ってた。
原爆の破片で痛んでるんかなぁ?
この石畳は被爆以前からと聞いた。
今では治療の甲斐あって元気になった大楠
しかし枝が重過ぎて空洞の幹では支えきれなくなっているらしい。
その枝をはらうのに車が入らんから足場を組んでやるらしい。
その費用が1200万
そのうち足場代が半分を占めるんやて。
道路を通す陳情もやってるみたい。
自分がもし鳶の組してたらボランティアでやるけどなぁ。
伝えていかなければいけない事が日本では軽んじられている。
石が続くが破壊された部分からコンクリに変わってる。
神社特有のマンホール?
以前から来たかった長崎原爆資料館、被爆クスノキが見れて充実した一日となったなぁ。
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