ここが爆心地、グラウンドゼロ
大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分
長崎市街中心部から約3kmもそれた別荘のテニスコート上空、高度503mで炸裂した
(長崎市松山町171番地)
この一発の原爆により当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約14万9千人が死没、
建物は約36%が全焼または全半壊した。
「長崎」が「ナガサキ」と片仮名表記される場合は、長崎市への原爆投下を指すことが多い。
ヒロシマ、ナガサキ、フクシマと
最後のフクシマだけ自爆し、気化ガスを含めると原爆の2万倍もの放射性物質を撒き散らかした。
しかも現在進行中である。
すぐに亡くなったのは73800人
その後、放射能に蝕まれ同数以上の人々が白血病や癌などで犠牲になった。
戦後、アメリカの核の平和利用というのに踊らされ
原爆よりもおよそ1000倍ダーティーな原発を54基も建設した愚かな国がここ日本である。
被爆国とはまるで思えない浅はかさ。
当時東洋最大であった浦上天主堂の一部が移設され保存されている。
自国の宗教を自らの原爆で破壊した貴重な遺跡。
口から何か出そうやなぁ。
原爆は何百万度という熱で爆発する為に残留放射能は原発より1000倍少ないとされている。
アメリカは現在も繰り返してるんやけどなぁ。
アメリカに遠慮して残さなかったのでは。
もしこれがキリストに縁も縁もなかったら、今頃はヒロシマとならんで巨大原爆遺跡かもなぁ。
(原爆被害を考える上でこの地理関係は重要である)。
しかし、多くのキリシタンが地下組織を作り、
一部しか残ってないけど・・
これを見た世界のキリスト教徒はどう思うんやろなぁ。
『 NATO(実質アメリカ軍)こそがテロリスト 』
足元には平和の象徴のハトポッポが居る。
被爆当時の地層
深いところにあるね。
深く埋もれてるんやね。
まさにガレキの山
半減期は2万4000年
今もあるでしょうが離れると出ない。
焼け野原やね。
これだけの家屋が消滅した。
ベルトの金具もある。
人もいっぱい埋まってるんでしょうね。
聖書か。
鉄砲と十字架」での侵略宗教にしか思えんなぁ。
結構深い場所にあったんやなぁ。
焼け爛れ、水を求めて殺到して死体の山に。
あれから68年
後で植えられた木もこんなに大きくなった。
たった68年前はこんな世界やったとは・・。
平和が続いてるのは奇跡なのかもしれない。
近い将来また戦争が起こってこうなるのかも誰にも分からない。
世界遺産なぁ。
浦上天主堂さえ残していたらなぁ。
つくづく惜しまれる。
原対協?
公益財団法人長崎原子爆弾被爆者対策協議会【原対協】
被爆二世の健康診断などもやってる。
駐車場にいい車があった。
さて次へ
0 件のコメント:
コメントを投稿