1946~58年、米国は統治下にあったマーシャルで計67回の核実験を実施した。
ビキニ事件で使われた水爆「ブラボー」の威力は広島型原爆の1000倍もの威力がある。
ビキニ事件
米国が1954年3~5月、
米国が1954年3~5月、
太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁を中心に行った6回の核実験で、
多くの島民や船舶乗組員が被ばくした事件。
初回の3月1日には静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が
放射性物質を含む「死の灰」を浴び、
無線長の久保山愛吉さんが同年9月に急性放射線障害で死亡した。
日米両政府は責任をあいまいにしたまま米国が日本側に総額200万ドル
(当時で約7億2000万円)の見舞金を支払うことで政治決着したが、
原水爆禁止運動が広がる契機となった。
急性放射線障害で死亡した第五福竜丸以外の
他の漁船乗組員には保障はされなかった。
「いつの時代も弱い者にしわ寄せが来る」
と証言している。
その後・・東京のゴミ処分で埋め立てた夢の島に遺棄されてるのを
ある26歳の青年が新聞に投書したことから保存の気運が高まる。
日本人にとって忘れてはならない船。
第五福竜丸展示館の公式ホームページ
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