6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から今日で18年になります。
1995年1月17日 午前5時46分
震源は淡路島北部並びに神戸市垂水区明石海峡沖
震源の深さは16キロ
マグネチュード7.3 震度7 激震
神戸の町は大火災に見舞われた。
焼け野原になった兵庫区と長田区
焼け跡から御遺骨を・・。
東灘区では高速道路がひっくり返り・・。
電車も。
橋は落ちて・・。
ビルも倒れた。
地下鉄の支柱は折れて屋根が崩落
神戸の中心街・三宮の東急ハンズ付近
三宮駅前交差点。
祭日の午前5時46分という早朝だったにも関わらず6434人もの尊い命が亡くなる。
もしこれが平日の昼間なら何万人と亡くなったであろうと言われている。
これが直下型地震の恐ろしさ。
三ヵ月半が過ぎた頃、
暗闇の中にホテル・オークラ神戸に「ファイト」の文字が浮かび上がった。
港に建つホテルの4つの面は
瀬戸内の海からも、六甲の山からも、
焦土と化した街からも、罹災した人々が暮らす公園のテントからも眺められただろう。
現在の神戸の町
当時は被災12市で15万人も人口減少
現在は震災を知らない市民が初めて人口の4割を超えたそうだ。
街並みにも表向き傷痕はほとんど見られなくなったが
裏に回れば空き地や駐車場だらけ。
家を失った人たちが移り住んだ復興公営住宅は1人暮らしの高齢者が増え、
一層の見守りが必要になっている。
被災地の経済も低迷から脱し切れず、
経済的に立ち直れない被災者の姿も垣間見えるそうだ。
東日本大震災の後、
被災地に向けたメッセージが点灯されている。
鎮魂
人間は三十年経つと忘れると言うが・・。
すでに神戸も風化している。
今も淡路島に保存されている阪神・淡路大震災を引き起こした活断層の跡
確か高さ60センチ横に120センチずれたと思うんやけど・・
こんなんで2万本以上の配管と15万点を超える部品の原発が持つはずも無い。
今後近い将来必ず襲うと言われている
首都直下型地震
30Mを超える津波がひき起こされるという東南海地震
備えと防災の知識が必要デス。
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