敷地の一角にただならぬ、、空気の場所があった。
国旗掲揚台。
國賊・日教組あたりに拝ませたい。
元々、小学校やったものが特攻隊の宿舎になって共に使用。
ココに移設スという内容。
あの桜花で有名な神雷部隊の宿舎やったんかぁ。
零戦開発の海軍側主務者。
後に、零戦のテスト飛行中の事故で殉職する。
空母加賀の二階堂易中尉が、急激な垂直旋回中、
主翼の外鈑に大きなしわが発生し、さらに急降下したところ、
外鈑の一部が補助翼とともに飛散した事故が起こった。
同中尉は沈着冷静に操縦して、飛行機を着陸させた。
この知らせを聞いた横空の下川万兵衛大尉は、
自分が実用実験した零戦の事故を解明するには、
まず自分が飛んで見ることであるとし、
たまたま事故機と製造番号が近い一三五号機があったので、
それで実験して見る決心をした。
その急降下で飛行中に、飛行機は空中分解して、
下川大尉は飛行機から脱出することもなく、殉職した。
その甲斐あって原因追求され改良される。
海軍少佐
のち大尉
その裏には、「遺言」
一、武道奨励
一、至純至誠
一、穏健明朗
一、人和第一
一、責任尊重
昔の人は凄いなぁ。」
今の日本人に欠けてるトコロかも。。
慰霊碑が。
海軍第二五四海軍航空隊
新鋭機天山艦攻で編成された
日本海軍航空母艦部隊最後の艦上
攻撃機隊
一部は串良にも派遣されて夜間雷撃を敢行ス も
多大の戦果を挙げたが戦友の多くは護國の神と散華した。
恵みあらば 永遠に平和の続くよう 国鎮め 南無逝きし 御霊よ
名前を刻んだ石が沢山ある。
飛行隊長筆頭に
部隊員全員であらう人の名が、、。
串良基地跡慰霊塔にはこう記されているやうだ。
碑文
今出撃せんとす
何も思い残すことなし 父母兄姉よ幸福であれ
心爽やかにして大空の如し
こうしているのもあとしばらくです さようなら
太平洋戦争末期斯くして串良
航空基地より飛立ち肉弾となりて
帰らざりし三百有余の御霊よ 安らかれ
必ずや平和のいしずえとならん
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