知覧に行く道中にあった。
富屋食堂は、特攻の母として慕われた「鳥浜トメ」の食堂でした。
鳥浜トメの生涯と特攻隊員とのふれあいの遺品・写真をおりまぜ、
鳥浜トメの生涯と特攻隊員とのふれあいの遺品・写真をおりまぜ、
ともに暮らした赤羽礼子の証言により、当時の場所に再現いたしました。
隣接する富屋旅館は、戦後昭和27年、遺族を知覧に泊めるために作られたものです。
隣接する富屋旅館は、戦後昭和27年、遺族を知覧に泊めるために作られたものです。
隊員さんたちを我が子のようにかわいがり、家財を投げ打ってもてなします。
関係が深かった分、悲しい思いをされたそうやわ。
まだ開いてないから後で。
お。 当時の麦酒
鳥浜トメさんには額に傷がある。
ある日憲兵に引っぱられて過酷な制裁を受けた。
当時憲兵に連れていかれるという事は
残忍なリンチが待っている事は確実で家族も震え上がって沙汰を待った。
理由はずっと語らず、「この傷は私の勲章だよ」と。
亡くなる一週間前に娘さんが聞き出した。
あの日、憲兵に引っぱられたのは
富屋食堂が特攻兵を甘やかしているという理由だった。
軍では夜9時以降食べ物を与えないのに富屋食堂では与えていた。
食べ盛りの青年たちを前に守りきれなかったのだ。
だが憲兵はそれを許さなかった
トメさんは捕らえられ密室に密室に閉じ込められて
鉄拳制裁を浴び、軍靴で顔を踏みつけられるという制裁を受けた。
その悲惨な現場からトメさんを救い出したのは特攻隊員達だった。
「どうせ俺たちは死ぬんだ。怖いものなんか何も無い」
と言って力ずくで取り返したそうである。
ゲシュタポの様に恐ろしい憲兵相手にそこまでするとは・・。
この話からしてもいかに特攻隊員から慕われていたのかが良く分るなぁ。
鳥浜トメさんを小母さんと慕う特攻隊員達
タバコ。
九州行ってからこの一週間のアクセスは40万5724
海外でも多数紹介されたからかなぁ。
また後で。
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