アンリ・カルティエ=ブレッソン
1908年~2004年 フランスの写真家
小型のレンジファインダーのライカで主にスナップ写真を撮っていた。
20世紀を代表する写真家と評されている。
相変わらずマクロレンズ欲しい小生は・・
こんなサイトを見つけたんやなぁ。
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よくコンデジは記録写真しか撮れないとか、マイクロフォーサーズはあくまでサブ用途だというようなことを言う人がいます。
それはそれでもちろん間違いとは言えませんが、個人的には少々もったいない考え方だと思っています。このカメラで何が撮れるのか。その限界を決めるのは何でしょうか。
カメラは機械ですから、もちろん性能的に限界はあります。しかしながら、その性能的限界は写真としての表現の限界とイコールだと言ってしまって良いでしょうか。
わたしは、その答えは否だと思います。AF速度やノイズの量、ダイナミックレンジや被写界深度の幅の広さ。そういったものは重要なことではありますが、それぞれ写真の価値を決める要素のごく一部にしかすぎないものだと考えています。カメラやレンズの性能や画質というものは写真を構成する要素の一部にしかすぎないという考え方です。
例えばブレッソンの最も有名な写真。男がぴょんと水たまりを飛び越えている写真ですが、あれを例えば同じシチュエーションでEOS–1D Mark IVにLレンズをつけて連写したとしたらどうでしょうか。ブレもなくピントもばっちりでノイズ感もほとんどない写真が撮れるでしょう。それで、その写真はブレッソンのものより良い写真と言えるでしょうか。
あれはあくまでもブレッソンが自分の体の延長と言ってもよいほどに使いこなしたライカで撮った写真だからこそあの写真になったのであって、より高性能な機材を使えば更に良い写真になるというものではないでしょう。
わたしはこう考えています。
このカメラでは記録写真しか撮れないと決めてしまった瞬間に、その人はそのカメラでは記録写真しかとれない。それを決めるのはカメラではなくてあくまで人間である。
このカメラでは良い写真が撮れるんだと考えている人にしかそのカメラでは良い写真は撮れない。
これまで機材のことについていろいろと書いてきましたが、それはあくまでテクニカルな話、手段の話にしかすぎません。良い写真を撮るにはどうしたら良いのかということを掘り下げて考えた場合にはどれも些細なことです。
一般には写真は機械が撮るものだと思われていますが、わたしの考えはちょっと違います。
わたしが思いますに、写真は実のところはカメラが撮るのではなく、自分の心で撮るものです。
自分が信じたカメラで自分が信じる写真を撮る、それに優る写真はない。わたしはそう考えています。
う~ん。
この方の言うとる事と写真はすごいなぁ。
これは小型の九九式航空写真機。
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