2010年5月24日月曜日

ユダヤ人を救った日本人

唐突ですが、
皆さんは「杉原 千畝」 という方をご存知かと思う。

ナチスドイツの迫害からユダヤ人6000人の命を救った外交官として
イスラエル政府から勲章を授与され、
岐阜県八百津町 人道の丘公園内に杉原 千畝記念館もあり
反町隆史氏主演のTVドラマのモデルにもなった人物。


対して 「樋口季一郎」 陸軍少将・はあまりにも知られては居ない。


その杉原 千畝氏の話の2年も前に先駆者が居た・・。
同盟国ドイツとの摩擦、自分の首を掛けてでも人道的見地から
米英も亡命拒否していたさなか2万人以上の尊いユダヤ人の命を
救った方。 兵庫県淡路島出身 最終階級は陸軍中将。

軍人という事だけで現在の日本では評価されるどころか
マスコミから封印され日本人のみが知らない話になっている。



本日は長いですが日本人として史実を知るべきかと思いますので
最後までお付き合い下さいませ。 深々とペコリ。


樋口少将は
昭和12年8月、満州の関東軍ハルビン特務機関長として赴任。

翌昭和13年樋口のもとに重大な情報がもたらされました。
満州と国境を接したソ連領のオトポールの駅で吹雪の中、
2万人のユダヤ人が立ち往生しているというのです。
ナチスの迫害をのがれ、零下30度のシベリアから三千キロを
無蓋列車に積み込まれてきて、
満州国の外務部に入国を拒否されたためでした。

ヒトラーが率いるドイツは1933年からユダヤ人の迫害を始めました。
日本は、ソ連とその共産主義の脅威に対抗するために、
ドイツとの間に日独防共協定を締結しました。こうした中で、
日本と一体の関係にあった満州国は、ユダヤ人の入国を認めると
関東軍の意向に反することになるのでは、と恐れたのです。  

樋口のもとには難民を助けてほしいとの切実な訴えが届きました。
しかし樋口の権限は限られ、事によっては全陸軍を相手にし、
首を覚悟しなければ出来ない行動でした。しかし、樋口は決断し
満鉄総裁・松岡洋右に電話をし救出列車の手配を要請しました。
満州国にもユダヤ人の入国許可を働きかけました。

二日後の3月12日、ハルビン駅に難民を乗せた列車が到着しました。
救護班が車内にとびこみ、病人や凍傷で歩けない人達を担架で
運びだしました。凍死者十数人。救援列車の手配がもう一日遅れたら、
これだけの犠牲ではすまなかったはずでした。  

案の定、ドイツは日本に強硬な抗議をしてきました。
樋口は関東軍司令部に呼び出され尋問を受けましたが、
処罰はされずにすみました。
「教科書が教えない歴史」扶桑社 」


樋口は、関東軍司令部からの出頭命令を受け、
参謀長・東条英機(後の首相)に対して

「ドイツのユダヤ人迫害は人道上の敵とも言うべき国策である、
それに日本と満州が協力するのは由々しき問題である。
日本とドイツの友好親善を望むが、日本はドイツの属国ではない、
また満州も日本の属国ではないと信じて満州国代表部に忠告した。」
と述べた。

樋口は、東条の顔を正面から見据えて言った。
「東条参謀長!ヒトラーのおさき棒をかついで、
弱い者いじめをすることを、正しいとお思いになりますか」

東条は、ぐっと返事につまり、天井を仰ぐしぐさをしてから、言った。  
「樋口君、よく分かった。ちゃんと筋が通っている。
私からも中央に対し、この問題は不問に付すように伝えておこう。」  

その後樋口を待っていたのは、
「不問」どころか、参謀本部第2部長への栄転だった。
ドイツからの「善処」要求のわずか5ヶ月後に。
このような人事を行った参謀本部も素晴らしいかと。




樋口には後日談があります。
1943年北方軍司令官として札幌にいた樋口は、
アリューシャン諸島・アッツ島守備隊玉砕後、
その隣の島で孤軍となったキスカ島守備隊を撤退させるべく
大本営に談判したことでも知られます。
このキスカ島守備隊の奇跡の救出は映画化されている有名な話です。

そして運命の1945年8月18日。終戦の3日後。
北海道占領を目的としてソ連軍が突然、、日ソ不可侵条約を
一方的に破り、千島列島の占守島を攻撃してきました。
その兵力約1万。同時にスターリンは千島列島と北海道北半分を
ソ連領とすることをアメリカに要求。

司令官樋口はすすめていた軍の武装解除を一旦停止し、
戦車部隊を中心に断固たる防衛を命じたのです。
8月22日まで続いた戦いの結果、
ソ連は7000人もの死傷者を出して敗退。
1日で占守島を占領する予定でしたが思わぬ齟齬をきたしたのです。
もしソ連軍が計画どおり千島列島から北海道に上陸したら・・
あるいは日本もドイツのように分断されたのは確実ナリ。。

***「占守島の戦い」については
当ブログ戦史・他で前に詳しく書いてます。

..また大損害を受けたソ連は樋口を戦犯として指名し、
連合軍総司令部に引渡しを要求しました。
しかしこれを聞いた世界ユダヤ人協会がアメリカ国防総省に働きかけ、
アメリカはソ連の引渡し要求を拒否することになったのです。

エルサレムの丘にある本を広げた形をした高さ3mの黄金の碑。
それはユダヤ民族に尽した人を称える記念碑です。
この記念碑に樋口季一郎の名前がモーゼやアインシュタイン
等と共に刻まれているそうです。



     『偉大なる人道主義者、ゼネラル・ヒグチ』 と。



2 件のコメント:

  1. このようなすばらしい志を持った人間がいたことは、後世に伝えていかなければならないことだと思います。すばらしいお話をありがとうございました。

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  2. 匿名さん・・

    そのとうりだと思います。

    そうおっしゃって頂けると冥利に尽きます。
    ありがとう御座います。

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