2019年8月17日土曜日

【18歳の回天特攻隊員の遺書】死は怖くないという彼が怖かったものとは・・




人間魚雷回天とは、火薬量1.6トンもの、通常の魚雷の5倍からの炸薬を積んで
敵艦に体当たりする特攻兵器






操縦者は人間である。




日本軍は日露戦争時代から人命軽視。
そして責任を取らん老害国家へ

安倍なんかもろその末裔やねぇ。。







母船である潜水艦に積まれ出撃して行った。





日本刀を振ってお別れする特攻隊員達
出撃すると二度と生きては帰れない。





当たればどんな巨大艦でも一撃で轟沈
しかし操縦が難しかった。

回天搭乗員106名、回天整備員36名ほか合計145名
(訓練中の殉職者、戦後の自決者を含める)で、
さらに回天戦に参加した未帰還の潜水艦は8隻で、その搭乗員数は811名を数える。




「18歳の回天特攻隊員の遺書」



お母さん、私は後3時間で祖国のために散っていきます。

胸は日本晴れ。

本当ですよお母さん。少しも怖くない。

しかしね、時間があったので考えてみましたら、少し寂しくなってきました。

それは、今日私が戦死した通知が届く。

お父さんは男だからわかっていただけると思います。

が、お母さん。お母さんは女だから、優しいから、涙が出るのでありませんか。

弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね。


お母さん。

こんなことを考えてみましたら、私も人の子。やはり寂しい。


しかしお母さん。

考えて見てください。今日私が特攻隊で行かなければどうなると思いますか。

戦争はこの日本本土まで迫って、

この世の中で一番好きだった母さんが死なれるから私が行くのですよ。


母さん。

今日私が特攻隊で行かなければ、年をとられたお父さんまで、銃をとるようになりますよ。


だからね。お母さん。

今日私が戦死したからといってどうか涙だけは耐えてくださいね。

でもやっぱりだめだろうな。お母さんは優しい人だったから。

お母さん、私はどんな敵だって怖くはありません。


私が一番怖いのは、母さんの涙です。












2017年に大津島の回天基地を訪ねました。







回天は国を思う下士官の熱血的な提案で生まれた。
その生みの親

二人とも訓練中に殉職されておられます。

約10時間艇内に閉じこめられたことによる酸欠で。

艇内に残された10時間の間に、世界潜水艦乗りの鏡である、若狭の誇る
第六潜水艇」の佐久間勉艇長にならって泰然として報告書と遺書をしたためている








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