2015年4月23日木曜日

鹿屋航空基地史料館



一番特攻の多かった鹿屋基地の資料館へ








方言っていいなぁ。。。





元鹿屋基地は自衛隊が駐屯してるから

管理もぞうなってる。


入館料は無料ダ!





史料館についての簡単な概要を3分程度の映像で。





入口正面には大きなステンドグラス





桜島をあらわしてるんやね。






凄いなぁ。






零式艦上戦闘機52型






美しい機体。





息をのむ。





引き上げられた二機の機体を一つにして自衛官がレストアしたらしい。





もう40年以上零戦一筋に見てるが・・





何度見ても新しい発見がある。





物事の見え方、捉え方は自分自身の中にあるんだと思う。





一つの物事ですら人間は一生掛かっても極める事は出来ないと思う。





若い間は何に対しても根拠の無い自身に満ち溢れてるが

それがいかに見えてないかという事を教えてくれる。



自分も見えてない。

学ぶべきものが多い。






タラップを登れば操縦室を見ることが出来る。






漢字で書かれた文字盤の計器類も魅力的。。。





究極の美しいライン。

















アメリカのスミソニアン博物館では模型を売ってるんやけど

日本の零戦と母国のグラマン・・


零戦がダントツで売れてるらしい。

零戦の魅力は国境や邪念を超える。








カタカナのサカエ

榮という名のエンジン。






気化器





星型14気筒 1000馬力級エンジン。







その他は残念ながら撮影禁止。







特攻隊の遺書や遺品があった。



様々な展示物も。








その中で気になったのは以前ココにも書いた佐久間艇長の話。







そしてもう一つは






日本本土を守るが故、フィリピンを最後の戦場とする為に


零戦に250キロ爆弾を抱かせて敵艦に体当りする特攻作戦の生みの親



大西瀧治郎中将



特攻は統率の外道・・とまで言いつつも・・それでも特攻を命じた。



そして終戦の翌日・・

俺も後から逝く・という特攻隊員との約束を守り

自宅にて十文字に切腹、、

介錯をよしとせず20時間苦しんだのちに本懐を遂げられた。




遺書



特攻隊の英霊に申す 善く戦いたり深謝す

最後の勝利を信じつつ肉弾として散花せり

然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり、

吾死を以って旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす



次に一般青壮年に告ぐ

我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い

聖旨に副い奉り自重忍苦するの誡ともならば幸なり

隠忍するとも日本人たるの矜持を失う勿れ

諸士は国の宝なり 平時に処し猶お克く

特攻精神を堅持し 日本民族の福祉と

世界人類の和平の為 最善を尽せよ







詳しくはココに。










そしてそれと対照的なのが





宇垣纏中将



終戦の玉音放送後に二十数名の若い特攻隊員を引き連れ

沖縄方面に最後の特攻をかけた。








天皇陛下がお決めになられた終戦。



それを無視して

もし戦後の特攻なんてしてたら大変な事になってる。





中津溜大尉や隊員の機転が無かったら


日本は永久に汚点を残していたと思う。





特攻隊の生みの親と言われ

特攻で死なせた部下を想い自決した大西瀧治郎中将と






終戦後に若い隊員を道連れにした宇垣纏中将






二人の長官が対照的でまた深く考えさせられてしまった。










当時世界最高の性能を誇った酸素魚雷






確か重量は800キロあるはず。











自衛隊のコーナーは去年も見たし・・。

今回は先を急ぐ。











史料館関内・・以上おしまい。









悪魔の反対ブログ











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