2013年11月7日木曜日

2013 志賀原発へ ②







のどかな場所やね。





左折して川を渡る。





い、 いこいの村・・





原発の交付金で。







排気塔が見える。

周りには言い訳か必要の無い風力発電。








志賀町では、記録が残る1980~2011年度の交付金は総額約228億円に上る。





他にも北電の固定資産税が92~11年度に総額約508億円、


さらに“地域振興”名目で多額の金が北電から流れ込んだ。





志賀原発従業員は、関連会社も含め約800人。

定期検査中はメーカー技術者らで3倍に膨れ、町を潤す。


「能登の夜明けだった」


細川義雄前志賀町長(78)は、1967年に志賀原発(当時、能登原発)の

建設計画が発表された時の歓迎ムードをそう振り返る。

国民的人気アニメ「鉄腕アトム」が放映された60年代、

原子力は未来のエネルギーだった。






しかし、工事着工までには21年間という異例の歳月がかかった。

建設予定地となった赤住地区では、反対運動が高まり、

地区は推進派と反対派に二分。

仲の良かった近所の間でも、反対派は「あいさつしても無視されるようになった」という。

土地の買収を巡り、72年には記名式で住民投票が行われたが、

県や町の執行部が「しこりが残る」と間に入り、開票されなかった。







74年1月、全国の電力会社で作る電気事業連合会が、

田中角栄内閣の中曽根康弘通産相(当時)に電源立地促進の要望書を提出、

同年6月に電源三法が成立した。

原発立地と引き換えの巨額マネーは推進派を後押しした。

当時は町議だった細川前町長は「過疎化が進む町を豊かにするための地域活性化策だった」

と話し、原発推進の意義を強調する。








しかし、フクシマ以後、町の空気は変わりつつある。






「『原発と共存する町』から、『明日は我が身』と心配する声が多くなった。

原発に依存しない町づくりを模索していくしかない」。

志賀原発運転差し止め訴訟の原告団代表を務め、

昨年4月の町議選でトップ当選した堂下健一町議(57)は警鐘を鳴らす。



原発停止の影響で、県は今年度、核燃料税を確保できない見通しだ。

停止が長引けば、発電量に基づく交付金も激減する。

また、北電の償却資産が目減りしていくため固定資産税も右肩下がりで、

原発マネーは陰りを見せ始めている。

福島での原発事故を契機に志賀原発の地元でも原発とどう向き合うか、

住民一人ひとりが問いかけられている。









さて着いた。





頭の悪いシステム。原子力。





愚かな人類。





時刻は朝の8時6分





入れてくれる訳無いわな。。






駐車場で・・







観察。







そんな気にしなくても・・






怪しいモンじゃないよ。





駐車場からも見える排気塔。






場所を移動して表の道路から。






夜な夜な気化ガスを放出してるんやろなぁ。





監視カメラ付き。





テロリストがこんな看板読むかいな。。




周辺は北朝鮮が日本人を拉致した地域。




今時、日本のやーさんでも持ってるバズーカでも打ち込めば

簡単に破壊できるのではないかな?






監視だけじゃねぇ。

アメリカみたいに軍隊で守らんと。





丸見えやね。





こっち見るな。。




こんな道路沿いやけど・・




北朝鮮対策は
大丈夫なんでせうか?








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