2015年11月16日月曜日

東京ディズニーシー ①




東京タワーやなぁ。

昔、プロジェクトXでやっとったわ。


困難な工事で

今みたいにエエ足場が無いから

最後まで登った一級鳶さんは

プレートに名前が刻まれてはめ込まれてるそうやわ。




職人ならそんな仕事がしてみたいわなぁ。。。










お台場レインボーブリッジ







これがそうなんかぁ。






ドラマは見とれへんかったケドなぁ。。







へー。。。







通った!







初体験やわ。







都会やなぁ。







ワシ観覧車好きなんやなぁ。

乗ってみたい。







これはディズニーランドなんかなぁ。







アフター6で行ったんやなぁ。

ディズニーランドは聞いた事あんねんけど

シーは知らんかったなぁ。


シーの方が大人向きらしいわ。







最近頭おかしなってキャラが変わったと ・言われてるらしいわ。



昔やったら絶対こんなトコ来ーへんかったわなぁ。

アホちゃうけ。。







大きな地球儀が回っとったなぁ。







日本が上で下はオーストラリアやなぁ。







日本軍は特殊潜航艇で

5000キロも離れたオーストラリアのシドニー港まで攻撃に行ったんやなぁ。


毎年、その日になるとオーストラリアの海軍は

敵ながらこんな粗悪な戻れない潜航艇で突撃して来た日本海軍軍人の栄誉を称え

立派な催しをしてる。






そして日本からその母親を丁重にお招きして

支えながら案内した事も。










その後、オーストラリア海軍により中馬艇と松尾艇は引き上げられ、
1942年(昭和17年)6月9日シドニー近郊のロックウッド・クリマトリア斎場にて
遺体は海軍葬をもって葬られた。

シドニー市内では彼ら敵国の軍人を丁重に弔うことに反対の声も大きかったが、
オーストラリア海軍司令官・ジェラード・ミュアヘッド=グールド英語版少将は部下に対し、
以下の様に演説した。



「私は敵国軍人を、海軍葬の礼をもって弔うことに反対する諸君に聞きたい。
 勇敢な軍人に対して名誉ある儀礼をつくすことが、なぜいけないのか。

勇気は一民族の私有物でもなければ伝統でもない。 
これら日本の海軍軍人によって示された勇気は、誰も認めるべきであり、一様に讃えるべきものである。 

このような鉄の棺桶に乗って死地に赴くのには、相当の勇気が要る。 
これら勇士の犠牲的精神の千分の一でも持って祖国に捧げるオーストラリア人が、
果たして何人いるであろうか」









シーみたいなトコ行っとって何の話を思い出しとるんやろなぁ。







日本人はサイパンなんか行って

バンザイクリフなんかで記念撮影しとるんやなぁ。


その地がどういう場所か考えなアカンのちゃうかなぁ。。









平和がエエなぁ。







夜は綺麗やなぁ。







何か行く前はバカにしとったけど・・






。。。







単純に綺麗し楽しめるなぁ。。。







そう思うなぁ。

















建物も雰囲気あるわ。。。








つづく









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