2015年5月25日月曜日

知覧の夜に清志郎さんを思い出していた。



時刻は17時14分・・腹減った。

知覧閉まるのが早い。。





迷ってると一軒のお店を見つけた。

知覧らしくないお店。

道挟んで第二駐車場もある。


車中泊出来るかムラムラ~♪

見た目悪い悪魔を外で待たせて紳士でまともな小生が交渉する。


「飲みたいねんけど車やねん、、

朝まで寝とってもエエかぁ?」




交渉成立!









富屋食堂で特攻隊員の遺書を読んで

心臓を鷲掴みされた様なショックを受けたらしい。



そうやろなぁ。

初めてならそうかもなぁ。




でも間違った道には進まんといてや。







今、日本はどんどん変な、間違った右傾化してる。

・という話もした。






故に自分は言い方を変えた。

昔は左が凄かったからなぁ。。






特攻隊かて何も日本人だけの話やないんよ。



そう、あの富屋食堂にもあった


光山少尉の事





光山少尉は、大正九年、慶尚南道に生まれ、

立命館中学から京都薬学専門学校(現・京都薬科大学)に進み、

特別操縦見習士官第一期生として太刀洗陸軍飛行学校分教所(知覧)に入校しました。

光山少尉が沖縄の海に散華されたのは、昭和二十年五月十一日ですが、

その前年の昭和十九年に光山少尉のお母さんを亡くしています。

それゆえ、出撃前夜に、今まで世話になったトメさんの経営する富屋食堂へ、


店にいる兵隊の歌声に耳を傾けていた光山少尉に、トメさんは、

「今夜が最後だから、光山さんも歌わんね。」と勧めると、

「そうだね、最後だからね。それでは僕の故郷の歌を歌うから、お母さん聞いてね。」

と頼みました。


トメさんと、トメさんの娘二人の前で、ふだん無口で恥ずかしがりやだった光山少尉は、

被っていた戦闘帽を眼が隠れるくらいに目深に被って、あぐらをかき、柱にもたれかかって

アリランを歌いました。


アリラン アリラン アラリヨ

アリラン峠を越えてゆく

私を捨てて行くあなたは

十里も行かず足がいたむ



悲しい調べでした。



この時、初めてトメさんは、特攻隊員の中に韓半島出身者がいることを知ったそうです。

アリランを歌う光山少尉は、次第に涙でくしゃくしゃになって、

二番を歌うときはもう歌になりませんでした。いじらしく思ったトメさんは、

光山少尉の手を取り、娘二人も手を取り合って泣きました。



このように、韓半島出身の特攻隊員は、光山少尉を含めて全部で十四名います。

もちろん、光山少尉ら韓半島出身の特攻隊員も、

その他の数多くの韓半島出身者の英霊とともに、靖國神社に祭られています。

戦局が苦しくなってきた我が国では、昭和十八年十月二日、

在学徴集延期臨時特例に関する勅令が出され、

文科系高等教育諸学校在学生の兵役徴集延期が廃止されました。

これが世に言う、学徒出陣です。



徴兵制は、内地では初めから実施されておりましたが、

韓半島ではそれまでずっと免除されていました。

しかし、このとき、同じように、これまで徴兵を免除してきた韓半島の青年たちに対しても

徴兵制が実施され、飛行兵にも採用されました。

光山少尉も、それを志願し、多くの志願者の中から選ばれて特攻隊員となりました。

光山少尉は、二十四歳で戦死し、二階級特進して大尉となり、ご両親と一緒に眠っていますが、

光山少尉(大尉)のお父さんは、息子を誇りに思い、その墓碑には、

「日本陸軍隼大尉」

と刻みました。


これは、「卓大尉」の誤記ではありません。

光山少尉の特攻乗機は、陸軍一式戦闘機、通称「隼」であり、

息子を称えるために隼大尉と刻まれたのでした。


このように、当時の韓半島出身者には、日本人以上に日本人となって生き

大東亜の大義に命を捧げようとした人々も数多くいました。


また、「世紀の遺書」の中には、BC級戦犯として処刑された韓半島出身兵士の遺書もあり、

日本への怨恨の文字がないのに心を打たれます。

処刑直前に、「激しき感動をかみしめつつ海行かばを唱ふ」と書き遺し、

あるいは「故国日本、朝鮮の弥栄を祈る」

と記して刑場の露と消えた韓半島出身の人々もいました。


昭和18年の朝鮮での特別志願兵の応募者は30万人以上、

採用6300人の50倍近くだった。

大戦中は24万2341人の朝鮮人青年が軍人・軍属として戦い、

2万1千余柱が靖国神社に祭られている。







でもなぁ、、ガボちゃん、、

もっと悲惨な話はナンボでもあるんやよ。



南方戦線で玉砕したトコなんか

補給もなく

飢えとアメーバー赤痢やマラリアで生きたままウジに食われて白骨街道になったトコもあるんや。

友軍の死体に喰らい付いて食った人も居る。


今の日本みたいに

イケイケになっとったらまた繰り返すんちゃうかなぁ。






特攻隊はまだエリートなんや。



一般庶民は赤紙一枚で徴兵され、戦地へ向かわされ

230万人の内の6割は餓死や戦病死やで。


自分はもっと多いと思うけど。





読んでちょーだい。







色々考える事も多いけど

今の世に生まれて幸せやと思うんよなぁ。




70年前なら・・

たった70年前なら今頃・・。。







既得権益者の為の政治かぁ。

選挙には行かんとアカンわね。







鳥刺し





黒豚の味噌焼き

鹿児島は黒豚が有名。






大きなエビ






じゃがバター






16歳の店員さん







46歳の落ち込む悪魔。






ガ島かインパールに行ったら結果にコミットするで!






■忌野清志郎



もしもCDが売れて大スターになったなら、恋の歌だけじゃなくて
「戦争はいけない事だ、戦争はやめよう」と歌ってみてもいいと思う。
それで人気が無くなるわけじゃないだろう?
ヒット曲にはならないだろうし、CMのタイアップもとれないかも知れないが、
大スターになれたんだから少々の影響力はあるのさ。

みんなビートルズが大好きだったんだろ?
おいしいとこだけ取って、でっち上げのラブ・ソングじゃちょっと情けない。
金なんかもう充分あるじゃないか。
それとも大スターでいるためには政治家とつるんだりする事があるのかい?
(ぼくの自転車のうしろに乗りなよ/第91回/2005年)


■忌野清志郎


地震の後には戦争がやってくる
軍隊を持ちたい政治家がTVでデカいことを言い始めてる
国民をバカにして戦争にかり立てる
自分は安全なところで偉そうにしてるだけ

阪神大震災から五年、オレは大阪の水浸しになった部屋で目覚めるとTVをつけた
五ヶ所ほどから火の気がのぼっていた
これはすぐ消えると思ってまた眠った

六時間後に目覚めると、神戸の街は火の海と化していた
この国は何をやってるんだ?
復興資金は大手ゼネコンに流れ
神戸の土建屋は自己破産を申請する
これが日本だ
ワタシの国だ
とっくの昔に死んだ有名だった映画スターの兄ですと言って、返り咲いた政治家がいる

政治家はみんな、防衛庁が大好きらしい
人を助けるとか
世界を平和にするとか言って
実は軍隊を動かして世界を征服したい

俺はまるで共産党員みたいだな
普通にロックをやってきただけなんだけど…
そうだよ、売れない音楽をずっとやってきたんだ
何を学ぼうと思ったわけじゃない
好きな音楽をやっているだけだ
それを何かに利用しようなんて思わない
せこい奴らとはちがう
民衆をだまして、利用して何になりたいんだ?
予算はどーなってるんだ
予算をどう使うかっていうのはいったい誰がきめてるんだ?
10万円のために人を殺す奴もいれば
10兆円とか100兆円とかを動かしている奴もいるんだ

いったいこの国は何なんだ?
俺が生まれて育ったこの国のことだ
君が生まれて育ったこの国のことだよ。



■忌野清志郎



銃を持ったら撃ちたくなる。
刀を持ったら斬りたくなる。
軍隊を持ったら戦いたくなる。
核を持ったら核爆弾を作りたくなる。
そして平和憲法を忘れてしまう。
「永久に戦争を放棄する。人間は平等である。世界の平和のために国として貢献する」。
日本の憲法第9条はまるでジョン・レノンと同じ ことをうたっているのです。
政治家のみなさん、アメリカに言ってください。
「もう戦争はやめましょう。人を殺したり傷つけるために武器を作るのは、もうやめましょう。
そんな何千億円単位のお金があるのなら、平和のために使いましょう。
人類は進歩すべきです。
今でも世界では戦争が行われていて人々が死んでいます。
アメリカさん、僕達と手をつないでいっしょに戦争がなくなるように努力しましょう」
、と日本の総理大臣や外務省はアメリカをはじめ世界中に発信するべきだ。
だって僕達はいつまでも自分の国を信じられないでいるんですよ。
(ぼくの自転車のうしろに乗りなよ/第33回/2002年)



■忌野清志郎



昔戦争にかり出された兵隊さんはこんなもんじゃなかっただろう。
死ぬまで命令されて、こき使われたんだからな。
偉い奴らはうまい物食って、女と遊んでたくせに、多くの人々は明日も信じれず死んでいった。
生き残った僕たちは二度と戦争をしてはいけない。
(ぼくの自転車のうしろに乗りなよ/2005年2月5日号)



■忌野清志郎



なにがいまさら反戦だ、みたいな声も聞かれますがですねぇ、気にせずやってます。
まぁー単純にこのー、牛乳飲みたいなぁーみたいな。
昔みたいにね、何も考えずにね、飲みたいなーと。
払った税金、一体なんに使ってるのかなーあいつらは、みたいな。
素朴なんで、そんな危険な、なんですか!?
発電所ですか!?
原子力…そういったもの作るんだったら返してもらってですねぇ、
好きな車でも買った方が俺は全然嬉しいなーみたいな。
たとえ人非人、売国奴と言われてもですね…かまいません。
(TVK『Live TOMATO』収録/1988年5月)  



■忌野清志郎



日本の国民は、だんだん、 じわじわ何も考えないように させられてるんじゃないでしょうか?
(フジテレビ『僕らの音楽 対談集4』鳥越俊太郎/2005年2月28日収録/ソニー・マガジンズ/2005年8月発行)



■忌野清志郎



ジョンが歌っていたよな。
「国なんかないと想像してごらん。むずかしい事じゃないさ。
今日のために行きている人々よ、想像してごらんよ。」
つまり、それは国連の考え方なんだ。
国はそれぞれの地方都市だ。
それがひとつになって、この世界全体、地球という星があるんだ、という考え方だ。
■忌野清志郎
国って何だよ? 
国が無くなったら、生きていけないのかい? 
国って何ですか? 
国が無くても生きていけるんじゃないの? 
本当はどーでもEことなんじゃないの? 
国が無くなっても自由に生きられるよ。
国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。
(ぼくの自転車のうしろに乗りなよ/2003年5月24日号)
■忌野清志郎
どーだろう…この国の憲法第9条はまるでジョンレノンの考え方みたいじゃないか?
戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ
俺達はジョンレノンみたいじゃないか 
 
戦争はやめよう 
平和に生きよう 
そしてみんな平等に暮らそう
きっと幸せになれるよ。
(瀕死の双六問屋/没原稿そのニ)



■忌野清志郎



この国の憲法を見直す必然性がどこにあるのでしょう?
イマジンのように簡単でわかりやすいこの考え方を世界中の人々にもっと知らしめるべきではないでしょうか。
広島や長崎を忘れないように。 
人類の歴史上はじめて原子爆弾がこの国に落ちたという事を忘れないでください。
「永久に戦争を放棄する。人間は平等である。 世界の平和のために国として貢献する」。
日本の憲法第9条はまるでジョン・レノンの イマジンと同じことをうたっているのです。
(ぼくの自転車のうしろに乗りなよ/TVBros/第33回/2002年8月31日号)



■忌野清志郎



社会的なメッセージを歌っているのは僕にとってはごくふつうのことなんですよね。
いろいろなことを偏らずに歌わないと。
妙なラヴソングばかりだと変じゃないですか、いい大人が(笑)。
世間のこととか政治的なこととか、ふつうに歌っていけばいいんですよ。
(週刊プレイボーイ/2004年5月24日号)



■忌野清志郎



全国で売れるためにはもっと腐った音楽じゃないとダメなのさ。
(瀕死の双六問屋/第一回/TV Bros/1998年11月21日号)



■忌野清志郎



経済が破綻した状態が長く続くと、どうしても国というのは戦争をやりたがるもんでね。
戦争はさぞかしうまく行けば儲かるのかなと思うんですけれど。
世界的にも殺伐とした時代になってきている気がするんですけども、
世間的にも、そういったことが影響してか、陰惨な嫌な事件が大変増えているんですが、
 2004年はなんとか、それ(殺伐とした時代)を打破して。
こうー、もっとみんなが愛しあってね。
んー、こうあったかい気持ちで、暮らせるように、なればいいなと思います。
(新春放談 忌野清志郎さんを迎えて/SSTV『FUZZ』/2004年1月)



■忌野清志郎



Oh Yeahー! そういえば今日は参議院選挙の日だベイベー。
行かないよな、あんなのな。
だいたいあの、小泉政権になってから、自民党の人気がぶり返してきて、甚だ腹立たしい今日この頃です。
だいたいあの小泉という男はねぇ、いい加減なやつです、あいつは。音楽的センスがまったくありません。
X JAPANが好きってなにそれ!?
なにそれ!?(場内爆笑) 
そんな奴にこの国を任せておいていいのか!? 
ふざけんな。
だいたい靖国神社に行くくらいだったら、フジロック観に来いっつーんだよ。
(フジロック・フェ
ス/2001年7月30日)



■忌野清志郎



世の中が悪くなっているのに、みんな社会や政治のこととか関心ないでしょ。
僕もあんまりないんですが(笑)、でも昔と比べたら、今の若者は家畜みたいになってる。
家畜のように飼いならされているのに、それが自由な社会だと思い違いをしている。
(ダ・カーポ/1999年11月3日号)



■忌野清志郎



本当に10年後とかに戦争が起こったら、オレの息子なんて年齢的にもたまったもんじゃないわけよ。
今の若いヤツらだって同じだと思うよ。
思想的なことは含まれちゃいないよ。
右寄りでも左寄りでも、そんなことはどっちでもいい。
(週刊プレイボーイ/1999年10月19日号)



■忌野清志郎



オイ、誰かよー、マリファナ持ってねーか? 
放射能浴びてなぁ、死にたくねぇぜ。 
麻薬中毒で死にてぇなー。
オレはそう思うなー。
(広島平和コンサート/1988年8月6日)



■忌野清志郎



仮想敵国が無く、日米安保が実質機能しないと、
日本も軍隊を持って出て行かないと、世界的に認められないんだみたいな感じの考え方が、
ちょっと出て来てるんじゃないですか?
その辺が甚だ心配です 。
(季刊プリンツ21/2001年5月刊)



■忌野清志郎



僕は戦争が大好き。
アメリカの言うことは何でもきくぜ。
戦争 すべて正しい。
戦争 バカの集まり。
うかれてんじゃねえぞ。
内閣総理大臣ちゃん 金持ちのバカ息子。
かわいい顔した人殺し。
ライオンハート。
お前が死ねよ。
いやー、まあそう言うなよ
(Tシャツ原画/2004年)



■忌野清志郎



アメリカ人なんかには理解できないだろ。
九条を削除していくのは、なんかつまんないよね。
俺なんかが言っても説得力はないかもしれないけど、やっぱり『右寄りの政治家』にはモノ申したい。
安倍晋三とかあのへんの輩ですよ。
たいして俺と歳も変わらないのにね。
(FLASH/2005年11月29日号)



■忌野清志郎



アイドルくんになりたがる子供は多いらしいが、よっぽど何か自信があるんだろうか? 
だってアイドルって顔がよくなくちゃダメなんだろ? 
どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。
どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。
(瀕死の双六問屋/十三話/1999年)



■忌野清志郎



今はほら、どいつもこいつもロックとか言ってさ、髪の毛ブッ立ててさ、
“この街から出て行こう!”とかさ、言ってるわけじゃんよ、未だにさ。
恥ずかしいよな、あいつら。
そんな奴ばっかだからさ、ここでやっぱり政治的なことをうたったりすんのはですね、
カッコいいと思いましたね、僕は。
僕はほんと、戦争はいけないと思います。
ほんとに悪いと思います。
で、やっぱり、昔の反戦歌ブームとかあったけどさ、途中で萎えて消えてっちゃったじゃん。
でも全然、戦争とかはなくなってないわけでさ、その辺がだから、
やっぱり昔の奴らは軟弱だったんだなと思いますよ、
僕なんか。
やっぱり。
いくら言ってもわかんない奴らですから、大衆というのはね。
ま、歌としてしか聴かないような、コミック・ソングみたいにとっちゃう奴も多いんじゃないでしょうかね。
まあコンセプトだからね、反戦であろうと反核であろうとね。
例えば原子力発電所が1個ぐらい爆発してですね、みんな汚染されたとしてもですね、
何て言うかな、首脳部って言うの、偉い奴だけそれからまぬがれてさ、
庶民だけって言うか…自分がほら、放射能とか浴びて歯茎からどぼどぼ血が出てさ、
手がぶよ~っとかこんなんなってさ、死んでくってヤじゃん、やっぱり。
それが言いたかったんですけどね。
【君はLOVE ME TENDERをきいたか?/RC サクセション】(フルコーラス・バージョン)
君はLOVEMETENDERをきいたかい 僕が日本語で歌ってる奴さ
あの歌は反原発の歌だって みんな言うけど
違う違う それは違うよ あれは反核の歌じゃないか
よくきいておくれよ 核は要らないって歌ったんだ
それとも原子力発電と核兵器は おんなじ物なのかい
発電所では 核兵器も作ることができるのかな
まさかまさか そんなひどいことしてるわけじゃないよね
灰色のベールのその中で またそんなコトしてるのかな
君は「LOVE ME TENDER」をきいたかい 僕のうたれた替え歌さ
あんなに小さな声で歌ったのに みんなに聞こえちゃったみたい
誤解誤解しないで 彼女へのLOVESONGなのに
反原発ロックなんて そんな音楽があるとは知らなかった
ただのロックじゃないか なんか変だな
レコード会社も、新聞もテレビも雑誌もFMも 馬鹿みたい
何を騒いでたの








清志郎さんを思い出していた。




彼の危惧した世界が加速度的になって襲って来る。


一人ひとりが考えないといけないだろう。

自分らの愛する人を戦場に送るのか?

自分らの子や孫を!






今生きてくれてたら彼は何を言ってくれるんだろう。







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