2014年6月15日日曜日

知覧特攻平和会館 ③





三角兵舎を出たら正面に隼の後期型かなぁ。





引き上げられた零戦が見える。









ココは横やから正面に回る。












石原慎太郎氏は

子供の頃、米軍戦闘機に機銃掃射されたそうである。

そしてまさに撃たれると思った瞬間、
日本軍戦闘機隊がやってきて敵は一目散に退散。


その飛行機に描かれた日の丸が今も目に焼きついているそうです。




鳥濱トメさん






「ホタル帰る」

の話が有名かなぁ。



おれ、この蛍になって帰ってくるよ。■

昭和20年6月6日、鹿児島県は薩摩半島の中程、知覧町にある富屋食堂でのことである。
知覧で出撃を待つ特攻隊員たちはこの食堂に出入りし、なにくれと世話をやく女主人鳥浜トメを母親のように慕っていた。

明日は死に行く少年たちのために出来ることと言ったら、母親代わりになって優しく甘えさせて やるしかない、
そう思ったトメは私財をなげうって、特攻隊員たちに尽くしていた。

その前日、6月6日は宮川三郎軍曹の20歳の誕生日であった。
トメは心づくしの料理を作って、誕生日を祝うと同時に
明日に控えた出撃のはなむけとした。途中、空襲警報が鳴って、
 みなで防空壕に入る。防空壕の中で、宮川は幽霊のまねをして、トメの娘礼子たちを怖がらせた。

防空壕を出ると、星のない暗い夜がそこにあった。街の灯り
も灯火管制のために消されている。食堂の横には小川が流れ、
藤棚とベンチがしつらえてある。漆黒の闇の中、小川の上を大 きな源氏蛍が飛び交っていた。

宮川の声がした。

小母ちゃん、おれ、心残りのことはなんにもないけれど、
死んだらまた小母ちゃんのところに帰ってきたい。そうだ、この蛍だ。
おれ、この蛍になって帰ってくるよ。

「ああ、帰っていらっしゃい」とトメは言った。そうよ。皆川さん、
蛍のように光輝いて帰ってくるのよ、と心の中で言った。


 宮川は懐中電灯で自分の腕時計を照らして言った。
9時だ。じゃあ明日の晩の今頃に帰ってくることにするよ。
店の正面の引き戸を少し開けておいてくれよ。


「わかった。そうしておくよ。」とトメが答えた。
おれが帰ってきたら、みんなで「同期の桜」を歌ってくれよ。それじゃ、小母ちゃん。お元気で。

トメには別れの言葉がない。死にに行く人を送る言葉なんて
この世にあるのだろうか。宮川軍曹の後ろ姿は暗い夜道に消えていった。


そして次の日のその時間に本当に蛍が一つ
入って来て梁に止まった。

居合わせた戦友たちは皆で涙を流しながら同期の桜を歌った。








はい。




本当に優しい音がしたんやよ。









二年ぶりです。






署名しました。




あ。





ネットで拾った画像で・・





中は3式戦闘機 飛燕









四式戦闘機 疾風

陸軍の基地だけに陸軍の戦闘機ばかり




赤バイに使われてたハーレー





しかし海軍の零戦もある。







特攻隊員の遺書が膨大な数が見れる。

昭和 20年3月下旬から7月中旬にかけ、沖縄で行われた陸軍航空特攻作戦において
戦死 された1,036名の方々の遺影・遺書・手紙などを展示している。



お母さんに宛てたものが多い。






中にはこういうのもある。







必殺







一度は是非、足を運んで頂きたいのです。







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