心 夢見るアトムの町
九電やらせ問題の玄海町
原発土建屋で大儲け。
MOX燃料偽装事件と町長暗殺未遂事件の
アトムの町
高浜町!
高浜は真っ白です!
真っ白宣言で原子力政策推進活動
敦賀はカニ賄賂で有名。
「あれは僕のアトムじゃない」
代表作といわれる「アトム」に対して、手塚は89年に亡くなるまで、
複雑な思いを抱いていたという。
手塚プロ社長の松谷孝征(68)は
「あれは僕のアトムじゃない」と突き放す手塚の冷たい声を聞いている。
「鉄腕アトム」をめぐり、手塚が感じていた世間とのすれ違い。
その溝を象徴するかのような出来事が77年に起きた。
原子力発電のPRにアトムが使われた“事件”である。
アニメ放送から50周年を迎えた「鉄腕アトム」。漫画家手塚治虫さんは、
アニメ放送から50周年を迎えた「鉄腕アトム」。漫画家手塚治虫さんは、
原発PRにまで利用されたヒーローに、ある種の悲しみを感じていた。
◆描いた覚えない冊子
手塚治虫のキャラクター「鉄腕アトム」が原子力発電所をPRする冊子
「アトムジャングルへ行く」は、
現在は既に解散している「漫画社」という広告企画会社が、1977年に刊行した。
漫画社社長を務めた樋口信(75)によると、
冊子は電気事業連合会を通じて全国の電力会社に納入された。
当時の報道では、東京電力福島原発のPR館でも無料配布されたという。
翌年には、続編「よみがえるジャングルの歌声」も作られた。
物語は、寒さで凍える動物を救おうと、
アトムが動物と力を合わせてジャングルに原発を造る。
続編は、やがてきた地震と津波に原発はびくともせず「安全でした」といって終わる。
「手塚さんがこんなことしていたら漫画界の恥だと思い、真意をただそうと押し掛けたんです」。
編集者の才谷遼(60)は続編を目にして驚き、
パーティー会場にいた手塚を訪ね、取材を敢行した。88年6月のことだ。
多忙でいつもはすぐ消えてしまう手塚が「大切な問題だから」と時間をつくってくれた。
取材に対し、手塚は「描いた覚えないの。許可した覚えもない」と冊子への関与を否定した。
さらに「僕も原発に反対です。
はっきりそう書いてください」と写真撮影用に「原発反対のポーズ」までとってくれた。
手塚はこのインタビューの約8カ月後、胃がんで亡くなった。
才谷はこの取材結果を、原発をテーマに編集した本「図説危険な話」で発表した。
マネジャーだった手塚プロダクション社長の松谷孝征(68)によると、
手塚のもとには生前、電力各社から「PRに使わせてほしい」
という依頼が何度もきていたが、そのたびに断っていた。
「原発PRにアトムを利用しようとするのは間違っている」と話すのは、
漫画評論家で同志社大教授の竹内オサム(61)。
「原作を読まず、上っ面のイメージだけで頼みにくるんでしょうね」
樋口は「手塚プロの承諾は受けているはず」と無断使用を否定するが、
松谷は「もしそうならチェックのための原稿が上がってくるはずなのに、
私はそれを一度も見たことがない」としている。(文中敬称略)
東京新聞 2013/4/18
【アトムの涙 手塚治虫が込めた思い<下>(東京新聞)】
考えさせられるなぁ。。
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