2018年2月16日金曜日

南レク 紫電改展示館 




紫電改が展示されてる場所は無茶苦茶遠い。




ほんま端っこやね。




日本にただ一機しか現存しない紫電改はココにある。




紫電改展示館




いきなりガキ用の紫電改か!?




見学は無料やが・・
少しのお金で色紙を買い折り鶴を折る。






まずは鎮魂




日本海軍の最高傑作とうたわれた紫電改。




零戦の後継機やわ。

最初は紫電。
でもイマイチで改良して紫電改




零戦の榮エンジンは1000馬力やけど・・
紫電改は同じような直径で2000馬力を絞り出した。




遅すぎたエース。


 松山・三四三空航空隊は、

日本海軍に置いて航空機の重要性にいち早く目を付けていた源田実大佐が、

当時の各航空隊に散らばっていたベテランの搭乗員をかき集めて作られた。


当時の戦況の悪化を縦糸に、

そして終戦2週間前の昭和20年7月24日に四国土佐沖に停泊していた

敵艦隊の空母より飛来した空母艦載機の戦闘機、爆撃機、計500機余りを

可動残存機僅か21機で邀撃に上がり、


そのうち未帰還となった6機の搭乗員




本も出てる。





この日の空戦で10倍以上の敵と戦い

未帰還となった6名の勇者。

操縦席の座席が一番前に固定されてたので

のちに誰かは憶測が付いてTVで二夜に渡ってドラマやってたなぁ。

中国戦線から戦い続けた超ベテランパイロットのようやわ。






500機 対 たったの20機。。

何でそんな無謀な戦いをするかというと、

アメリカ軍のパイロットは顔の見える距離で

民間人どころか女子供を機銃掃射で撃ち殺すんよねぇ。。





映画にも描かれてたけど・・
いつも行く知覧の女学生とかも沢山犠牲になったんやなぁ。




だから無謀と分かってても逝く

全弾撃ち尽くした後は体当たりしてまでも・

自分らの身内もいつ無差別機銃掃射の犠牲になるか分からんもんね。




そういう想いなんよね。


































































昭和53年11月、

愛媛県南宇和郡城辺町久良湾の海底40mに

原型のまま沈んでいるのが地元ダイバーによって発見され、

翌年7月14日実に34年ぶりに引き揚げられました。
 
紫電改はゼロ戦に代わる新鋭機として終戦間近に開発され、

海軍のもっとも優れた戦闘機だったと言われています。

現存する、日本で唯一機です。






























引き上げの様子




遺族も。

















プロペラが4枚とも綺麗に曲がってるのは不時着水した時にエンジンは回ってたという事










航空機が海上に不時着水してこんなに原型を留めてると言う事は相当の腕の持ち主。




衝撃は少ない。




しかし生還セズ。




怪我をされてたのか?




誰も知る由もない。












34年間沈んでフジツボだらけだったものを




あまりレストアせずに










燃料も粗悪やったから。

アメリカが本国へ持って帰ってテストしたら驚くべき性能やったらしい。




結局、戦局の打開には至らず。


































超超ジュラルミンが腐食してる。




















20mm機銃弾




左右に4門搭載。
零戦の倍。




日本軍戦闘機は重戦闘機であっても美しい。




ほんと平和がいいなぁ。

鎮魂











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