2017年3月9日木曜日

回天記念館 ③ 18歳の回天特攻隊員の遺書




最後に18歳で亡くなられた回天特別攻撃隊員の母に宛てた遺書があるのでぜひ読んでみて下さい。









出撃記録





その遺書を読めば・・


左巻きの方々の言う

特攻は狂気の沙汰などではなく

あの時はああするしかなかったと誰もが思うでしょう。






本土防衛の為にも随所に配置された。





親に悟られまいと直接会わず

実家の陰から覗いて別れを告げた者も居たという。





さらば祖国





忠義

















零戦の特攻機が抱いた爆弾は250kg

まれに500kg


その何倍もの爆薬







本当に狭い。






























逝く者と残る者との・・




















彼らの願いも届かずに敗戦。









ここから長い自虐史が始まる。













一番最初のは破壊されたらしい。





何で壊されたんやろ?





現在も世界では争いの無い日は一日も無いしなぁ。。









大国の無茶ぶり。





勇気ある者が死に

卑怯者が生き残った。





彼らが生きてれば戦後の日本は今よりは随分マシになってたかも。





館長に一礼し外へ





回天戦で亡くなられた勇士の碑






本当に来れて良かった。








ここに18歳で散って逝った回天特別攻撃隊員が

母に宛てた遺書がある。






お母さん、私は
後3時間で祖国のために散っていきます。 

胸は日本晴れ。 

本当ですよお母さん。

少しも怖くない。 

しかしね

時間があったので考えてみましたら
少し寂しくなってきました。 

それは、今日私が戦死した通知が届く。 

お父さんは男だから
わかっていただけると思います。 

が、お母さん。

お母さんは女だから、優しいから
涙が出るのでありませんか。 

弟や妹たちも兄ちゃんが
死んだといって寂しく思うでしょうね。 

お母さん。 

こんなことを考えてみましたら
私も人の子。

やはり寂しい。 
 

しかしお母さん。 

考えて見てください。
 

今日私が特攻隊で行かなければ
どうなると思いますか。 

戦争はこの日本本土まで迫って
この世の中で一番好きだった母さんが
死なれるから私が行くのですよ。 

母さん。 

今日私が特攻隊で行かなければ
年をとられたお父さんまで
銃をとるようになりますよ。 

だからね。

お母さん。 

今日私が戦死したからといって
どうか涙だけは耐えてくださいね。 

でもやっぱりだめだろうな。

お母さんは優しい人だったから。 
 

お母さん
 

私はどんな敵だって怖くはありません。 
  
 
私が一番怖いのは、母さんの涙です。 
 
















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