2014年5月26日月曜日

長崎原爆資料館 ①




長崎の町ははじめての経験。
広島と同じようにちんちん電車が走っていた。

そして長崎といえば忘れてはいけないのは第二の原爆を落とされた町だとうい事。




駐車場が裏にある。





ココとは違うようやが・・




先にメシにする。
観光客相手の店では食いたくなかったんでウロウロと。





なかなかユーモアのセンスがあるようだナ。。。




寿司屋に入る。
オランダ巻・とは何でせうか?









ぶりの荒だきの定食


頭が左右入ってた。
味噌汁は白の多い合わせ
いちごは長崎の名産品みたい。
茶碗蒸しも。

薄味でかなりおいしかった。


しかしガイガーカウンターの電源を入れた瞬間
0.48μシーべルトパーアワー

何が線元かなぁ?
しいたけが入ってる茶碗蒸しだろうか・・?


ホンマに迷惑な話。」







古川豪 「原発に未来になし」

清志郎や沢田研二よりも早く、今から37年前の1977年に、
こんな反原発ソングを歌っていたフォーク・シンガーがいた。
古川豪。京都を中心に1960年代末に歌い始め、高田渡や中川五郎、中山ラビ、等とも交流していた。


原発に未来なし 曲・歌詞 古川豪


海に魚ははね
空にカモメまい
陽の光と雨に草木は育つ
このすばらしい恵み
子や孫に伝えん


※  原子力発電
この地に許すな
原子力発電
 運転を中止せよ


わかちあわれずに
使いすてられる富と
安全の保障もない便利の二つを
天びんにかけるような
選び方はまやかしだ


※  原子力発電
この地に許すな
原子力発電
 運転を中止せよ


1981年 広島の原水禁世界大会で「原発に未来なし」を歌う。原水爆禁止運動の中で、
 核の平和利用といわれた「原子力発電」に、はじめて疑問をなげかけた歌。







街中は毎時0,12くらい。

プルトニウム原爆の落ちた長崎の町
どうなんでしょ?


プルトニウムの半減期は2万4000年。



<約千キロ離れた長崎市、2011/4/6週に呼気被爆>
「チリ」のセシウム、福島県飯舘村の土壌相当1万3000Bq/kg
 
 


平米に直すと84万5000ベクレル。
チェルノブイリ強制移住地域55万5000を軽く超えるね。






やっと来れたなぁ。




平和がいいなぁ。





山王神社の被爆クスノキも見に行く。




生き地獄かぁ。。


戦争は権力者がおこすけど犠牲になるのはいつも庶民。

TVや新聞に踊らされず
精査する事が必要やね。




地下に降りてゆく。
壁沿いには超長い織り鶴が飾ってある。




被爆前の長崎。







銃剣術




戦争の色が濃い。


多くの国民が望んだ戦争であった。
反対する社説を書く新聞には不買運動で圧力を掛けた。







爆心地より800m




中はとてつもなく暗い。

数分おきに電気がつく
当時の暗さを出してるそうです。





木が炭化するほどの高熱


爆心地 では地表の温度が3,000~4,000℃(太陽の表面温度は5,700℃、鉄 がとける温度は1,500℃







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