2014年1月30日木曜日

舞鶴引揚記念館 #2





出征の時の旗。





当時の日本の石油の輸入依存度は92%、しかも81%が米 国からの輸入であった。

したがって米国の石油禁輸は「日本の息をとめる」ものであり、実質的な宣戦布告であった。

イギリスからも輸入してたけど

日本の南進に危惧した米英蘭が共同でやったからね。


鉄鋼類の輸入量の 70%、工作機械類の輸入量の 66%もアメリカから。




満州、中国にあったんやね。





満州鉄道の機関車が渋い。

機械で動くモノは何でも好きやな。





「千人針」

日露戦争のころから太平洋戦争に掛けて全国に広まる。



1メートルほどの長さの白布に、赤い糸で千人の女性に一人一針ずつ縫って結び目をつくってもらう。

特例として寅年生まれの女性は自分の年齢だけ結び目を作る事が出来る。

これはが「千里を行き、千里を帰る」との言い伝えにあやかって、兵士の生還を祈るものである。

同様の理由から、ただ単に縫い目を並べるのではなく、虎の絵を刺繍で描いた例も多く見られる。

また、穴の開いていない五銭硬貨や十銭硬貨を縫いこむことも行われた。

これは「五銭」は「死線(しせん=四銭)」を越え、「十銭」は「苦戦(くせん=九銭)」を越えるという事に由来している。

他に、神社などの護符を縫いこんだ例もある






お守りも手作り。






満蒙開拓青少年義勇軍






ものすごい広範囲に渡ったんやね。

日本で食えなかった人が新天地を求めて行ったんやね。





ここから悲惨な収容生活が始まる。




この銃剣は簡素化された後期型やね。





初期~中期の曲がってる方がいいね。








2万キロ歩いたとか。

小生ならその時点で生きてないなぁ。。





シベリアのトランペット―もうひとつの「抑留」物語 


極寒のシベリアで抑留されながらも 音楽への熱意を失うことのなかった人々、そしてそれに応えたソ連の人々。

立場を異に すれども、人が生きるには食べ物だけでなく『心の糧』がなくてはならないことを伝える 物語 ...










ロータリーバルブのドイツ式トランペットは現在でも製造されてるらしい。





巻きタバコかな? キセルかな?









彫金。

器用やなぁ。





富士山が泣かせる。





国が変わればセンスも違う。








3年も。





器用やなぁ。









すべてが手作りなんやね。










零下30度~50度で重労働させられたらそりゃ死ぬわ。





とても手作りとは思えん出来の良さやね。







鋳造したんやね!





何でもやろうと思ったら出来るモンやね。







ソ連の材料を使用して製作と読める。








抑留された捕虜の総数は、作業大隊が570あったため、

当初は総数57万5千名が連行されたと考えられたが、65万人というのが定説である。

一説には70万人近くが移送されたと言われ、最高数としては200万人以上との説がある[15]

モスクワのロシア国立軍事公文書館には約76万人分に相当する量の資料が収蔵されている




捕虜を労働に使うのは国際法で禁止されているんやけどね。。









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