2013年8月28日水曜日

2013 浜通り 大津波の爪痕 ⑧



湖みたいになってる。





ここで車から降りた。





鴨の親子かなぁ?





かわいいなぁ。





嗚呼。。








御霊安らかに





元々は両サイドに家があったそうデス。

今は道のアスファルトすら無い。
新設した電柱だけが建つ。







片付けられてる。





巨大なエンジン。
船のだろうか・・?





窓ガラスは津波で無くなったんでしょうね。





頑丈そうな鉄筋RC造やから残った。







あの重そうなテトラやこんな巨大な鉄まで
津波で運ばれてる。


3.11の岩手県宮古市田老地区の摂待川河口から約470mの地点に、
幅約6m、奥行き及び高さ各約4m、重さ推定140tの巨石が運ばれた例もあるそうやわ。

 
 
過去の事例を見ると恐ろしい。
 

 
 
高台移転しかない。
 
しかしこの辺は平地しかないしなぁ。。
 
 
110年ほど前に岩手や宮城を襲った今回のと同じ規模の津波では
 
復興として浸水した地域に居住を認めず塩田にした。
 
それがどんどん海の方に戻ってしまった。。
 
 
 
 
大津波記念碑
 
 
「高き住居は児孫(じそん)和楽(わらく) (おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)
 
此処(ここ)より下に家を建てるな」――。
 
 
 
「高き住居は児孫(じそん=子と孫。子孫)の和楽(わらく=互いにうちとけて楽しむこと) 
 
(おも)へ惨禍(さんか=天災・人災などによる、むごたらしくいたましい災難)の大津浪(おおつなみ)
 
此処(ここ)より下に家を建てるな 
 
明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て 
 
 部落は全滅し、生存者、僅かに前に2人後に4人のみ 
 
 
 
 幾歳(いくとし)経るとも要心あれ」」
 
 
 
 
先人の教えを守った地域もある。
 
宮城県で10mクラスの低い防潮堤を何十キロに渡って工事するらしい。
ゼネコンが儲かるだけかぁ。
 
防潮堤じゃ命を守れない。
 
 

 
 
 
墓石まで。。
 
 
 


 
 
永遠というものは無いんやなぁ。
 
 
 

 
水の中にも落ちてる。
 
 



 
 
ショックを受け続けて
二人ともどんどん無言になってしまう。
 
 
 
 
 

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