2011年5月5日木曜日
小出裕章氏 京大原子炉実験所 助教
京大原子炉実験所 助教 小出裕章氏
なぜ彼は研究者の立場ながら原発に反対するようになったのか?
小出氏:
私は原子力に夢を抱いていた訳で、
初めは、何故女川の人達が反対をするのだろう、と思った。
所が、女川町の人達の言っている事は実に単純だった。
安全だと言うが、安全なら何故仙台に作らないのか、と。
私はその問いの答えを見つかなければいけない、と思った。
それで、どうしてだろうと探し求めた訳だが、
今となってしまえば。と実に当たり前の答えしかなかった。
要するに、原発は都会では引き受けられないリスクを持っている、
それだけだった。
でも、電気を使うのは都会の人達であり、
その都会の人達はリスクは引き受けたくない、と言って、
原発を所謂過疎地と言われる所の人達に押し付ける、
という事をやろうとしている、それが、探し求めて見つけた答えだった。
その答えを知ってしまった以上は、私にとっての選択はひとつしかなく、
これはとても認める事が出来ない、止めさせようと思った。
人生の選択を180度転換し、
原子力を止めさせる、という事に力を注ごうと思うようになった。
女川の問題に突き当たり、自分のやろうとした原子力が
何なのかという事を、考えざるを得なくなった。
それは所謂アカデミズムと言われているものの一端であった訳で、
先ほども宮台さんは「アカデミズムは価値中立的だ」とおっしゃったが、
アカデミズムの実態を知れば知る程、
アカデミズムは価値中立ではないと、私は思うようになった。
原子学工学科という所は、原子力発電をやろうとする牙城、
そこで私は原子力を止めさせようとした訳で、
教員達と毎日のように論争をした。
今私が言うのもおかしいが、大抵私が勝った。
そうすると、彼らが何と言ったかと言うと、
「自分には妻もいるし、子もいる」と言った。
神保氏:原子力を止めたら食べられなくなってしまうという事。
小出氏:そうです。
要するに、生活があるという事。
私と一緒に女川原発に反対していた人は、
もちろん原子学工学科の中にも当時沢山いた、
大学闘争があった時代たったため。
その中で大変親しい2つ年上の友人は、
「生活を言い訳にするようなやりたくない」と言って、
どうすればいいのか、と考えた挙句、捨てるものが無くなればいい、
要するに、アカデミズムにしがみついていなければいい、と、
原子学工学科の大学院を辞め、とび職になった。
捨てるものを無くした上で、彼は女川原発の反対運動を続け、
今でもその中心メンバーになっている。
彼がそういう選択をした時、私はその選択をしない、と言った。
原子力を進めるアカデミズムの世界が現に存在に、
そういう世界の中で、原子力を反対する人間は必要だ、と思い、
私はこの場に残る、その代わり、生活を言い訳に絶対しない、
と彼に約束をし、それで私はこの場に残っている。
私は74年に原子炉実験所に来た。
その時の大学の職階は、教授・助教授・助手で、
私は助手に採用されて、ここに来た。
途中で大学の職階が、教授・準教授・助教という名前に変わり、
それで今私は助教、つまり昔の助手のままいる訳である。
小出氏:私は、さっきも聞いて頂いたが、
1970年に原子力はダメだと思い、何とか止めさせようと思った人間である。
既に40年経った。
いつかこんな事故が起きると、私は警告をして来た訳だが、
とうとう起きてしまった。
何とか起きないように、起きる前に原子力を止めたいと
願い続けて来たが、私の願いは届かなかった。
こんな事になってしまい、何とも言葉がない、
私は今は言葉がありません。
私は、こういう事故が現在進行中であるにも関わらず、
さっき宮台さんがおっしゃったように、
日本でまだ原子力発電所が実際に動いている。
何故動いているかと言うと、夏になって停電したら嫌だから、と、
電気は絶対必要だ、という人が、どうも日本人には多いという事らしい。
その事に関しては、私はデータを付けて既に発言をしているが、
今現在即刻原子力発電所を止めたとしても、
日本の電力供給に何の支障もない。
ですから、止めるのが良いと私は思うが、
私は実はその事もどうでも良い。
電気が足りようが足りなかろうが、原子力なんてものはやってはいけない、
と私は思っている。
そういうふうに日本人の人達が思えないという事に、
私はかなりの絶望感を持って現実に向き合っている、
そういう状態です。
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/04/30/marugeki-apr30/
***
こういう方こそホンマモンの学者であると思う以上に
本物のチョッパーでありハードコアにも通じる部分だとも思う。
原発の利権求めて「ワン」という御都合学者ばかりに国は研究費を出し
金も名誉も欲しいままに与え優遇してきた。
故に名目上はあっても本当の意味で危機管理をするところが
無かったのが今回の人災を生んだ要因であると自分は思っている。
しかしながら原発も津波も同じ
人間の力で「制圧」できない。
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