牙むく原発「司法も責任」 福島第二控訴 元原告
避難生活を送りながら東電や県に訴え続ける早川篤雄さん
=福島県いわき市で
原発の危険性をあらためて浮かび上がらせた福島原発
多くの裁判所は「専門的、技術的評価は司法判断になじまない」と踏み込んだ議論を避けてきた。最悪の事故が現実化したいま、「不十分な安全対策を容認してきた司法にも責任がある」との声も上がる。
原発はいつの日か 必ず人間に牙をむく/
私たちがそれを忘れれば いつか孫たちが問うだろう/
「あなたたちの世代は何をしたのですか」
一九八四年、福島第二原発(福島県楢葉町、富岡町)をめぐる訴訟の一審で敗訴した時、今は亡き親友が詠んだ詩は現実となった。原告の一人で市民団体代表早川篤雄さん(71)はいま、怒りと悔しさに震える。「何のための司法か」
自宅は第二原発から約六キロ、第一原発から約十六キロ。第一原発1号機の運転が始まった七〇年代初め、一帯では第二原発と広野火力発電所の建設が計画されていた。
「原発はよう分からんが、火力の排煙は危ないんでねか」。公害を懸念して七二年、高校教師だった早川さんや農民、漁民ら百三十人余で町民組織を立ち上げた。科学者を招いて勉強を重ね、「原発の方が危ない」とはっきり分かった。
国は七四年に第二原発建設を許可した。翌年、約四百人の住民が許可取り消しを求め、裁判が始まった。
一審は十年近くに及んだ末、「手続きは適法だった」と住民の請求を棄却。二審判決は「基本設計は安全だが、現実の原発が安全かどうかは別問題」と言及したものの、結論は変えず、最高裁も退けた。「住民が最も大切だと訴えた危険性には耳を貸さなかった」と早川さんは言う。
高校の同僚教師で、ともに原発問題に取り組んだ吉田信(まこと)さん(享年五十四歳)ががんでこの世を去ったのは、一審判決の三年後。「俺の骨になってけろ」。早川さんは火葬された親友の骨を口に含み、その後も東電や国、県に安全対策を訴え続けた。
「津波で冷却設備が機能しなくなる」「過酷事故を想定して防災計画をつくるべきだ」-。裁判が終わった後も警告してきたのに、震災後に「想定外」を繰り返す政府や東電。心の中で「この期に及んで」と憤る。一方で政府が浜岡原発停止要請を決断したことは「事が起きる前にとにかく止めることが大事だ」と高く評価した。
避難所や知人宅を転々とした後、先月半ばに落ち着いた福島県いわき市内のアパートには、自宅から運び出した原発関連の資料がどさりと置いてある。
「命ある限り原発の安全性を問い続ける。けつまくって逃げるわけにはいかねえ」。わが骨となった親友とともに闘い続ける。
後世に「何をしたのか」と問われないために。
(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011050890070647.html
裁判したり、共産党が指摘したり・・
警告出してた人はいっぱい居たんやなぁ。
それを無視した東電や保安院や国の責任は重い。
あぐらかいて甘い汁吸って来とんのに
国民負担など論外やわ。。
他の企業が何かしたら国が守ってくれるんか?
業務上過失致死で罪に問われるんちゃうけ。
安産対策を怠った者は実刑に処すべし。
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