寒い北国に行くと..
北海を守り玉砕したアッツ島守備隊の事を思い出すなぁ。
10倍の敵に対して補給も無く
19日間孤軍奮闘すも玉砕した アッツ島守備隊。
指揮官は山崎保代陸軍大佐。 以下2638名。
戦後の遺骨収集では最後の突撃の最先頭であった事が確認されている。
援軍を送れぬ無念の打電に対し山崎大佐の返電は・・
戦さする身、
生死はもとより問題ではない。
守地からの撤退
将兵の望むところではない。
戦局全般のため
重要拠点たるこの島を
力及ばずして
敵手に委めるに至るとすれば
罪は万死に値すべし
その期至らば
将兵一丸となって死地につき
霊魂は
永く祖国を守ることを信ず。
アッツ島血戰勇士顕彰國民歌
天皇陛下はアッツ島守備隊の玉砕の報告を静かに聞かれ、
「アッツ島部隊は最後まで非常によくやった。」
この事を伝えよと申されました。
「しかしすでに山崎部隊は玉砕した後で、もうこの世にはいません。
またたとえ電報を打ったとしても、
通信機も壊されていますから絶対に届くはずがありません」
おそれながらもそのように申し上げると陛下は
「それでももいいから、電波を出してやれ」
と声を荒げられたようです。
そしてアッツ島に向けて陛下の御言葉が打電されました。
雪と氷で閉ざされた北海の孤島に眠る二千六百余名の英霊の
気持ちはいかばかりだったろうか..。
鎮魂。
0 件のコメント:
コメントを投稿