インドネシア独立戦争(1945年 - 1949年)
日本が降伏した後の旧オランダ領東インドで、独立を宣言したインドネシア共和国と、これを認めず再植民地化に乗り出したオランダとの間で発生した戦争(独立戦争)。4年5ヶ月の戦争で80万人が犠牲になった。
大戦に敗れた日本軍は連合軍の命令により、東南アジアの各占領地域を現状維持のまま、上陸する連合軍部隊に引き渡すことになり、インドネシア人の独立派への武器引渡しも厳禁とされていたが・・日本軍部隊が上官の命によって兵器の集積庫を開放し、横流しした。その結果、日本軍からは3万丁以上の三八式歩兵銃、数百の野砲・トラック、食料、弾薬、軍刀など多くの資材が独立派の手に渡った。日本に引き揚げずに独立戦争に身を投じた元日本兵は数千人に上った。
独立戦争で命を落とした元日本兵は1078人を数え、ジャカルタのカリバタ英雄墓地をはじめ、各地の英雄墓地に葬られ勲章を授与された。 戦後生き残った元日本兵も、インドネシア国籍を与えられたインドネシア人として、これらの墓地に埋葬される予定である。
1958年に訪日したスカルノ大統領は、日本へ感謝の意を表し、独立戦争で特に貢献した市来龍夫と吉住留五郎に対し感謝の言葉を送った。
市来龍夫君と吉住留五郎君へ。独立は一民族のものならず全人類のものなり。1958年8月15日東京にて。スカルノ
その石碑が東京青松寺に建てられている。
インドネシアに残ったもの
8月17日には、後の初代大統領スカルノによって、独立宣言文が読まれました。その宣言文の日付は170805(05年8月17日)、05年とは西暦ではなく皇紀です。
この日には、毎年盛大な独立記念祭が行なわれます。そこで華々しく行進するインドネシア国軍のパレードで使われているのは、PETAマーチです。
「祖国防衛義勇軍(PETA)マーチ」 (斉藤守氏訳)
1、
アジア すでに敵に向かい 蜂起せり
己を捨てて 全力を尽くす 連合国を粉砕せんと
玉散ることもいとわず 進め進め 義勇軍
アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ
2、
古きアジア 不幸に苦しむ列しき圧制に
幾世紀も忍ぶ 大日本 雄々しく立てり
アジアを救い 我らを守る 進め進め 義勇軍
アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ
パレードのクライマックスでは、インドネシア人の男女二名と、日本陸軍の格好をした男性による三名で、インドネシアの国旗を掲揚するのです。
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