2009年8月31日月曜日

4本溝のキックペダル



長らくお待たせしました。 
IK worksマシニング削り出し製作です。


 
ニューオーダーショーでアーリーに搭載していたタイプです。



アームによっては開いた時に90度にならなくて
当たり面を少し削る作業も必要かも。
4種類で試しまして、足らないよりはそれがいいとの判断です。
中には90度以上開いてしまうのもあったんですよねー。

小生のアイアンの純正キックアームにはそのままで行けましたが・・
アーリーの社外キックアームでは少し削りました。



鉄製でパーカ加工済みです。



お値段変わらず12500エーンでお願い致します。

ぐにゃぐにゃ感の改善。



涼しくなったんで夕刻、元町まで足をのばす。
お! あの人また改造してるなー。。。



Fまわりのぐにゃぐにゃ感の改善に工具を変えて
三叉を少しオーバートルクで締めてみた。


上下共に多少締まった。 締めが甘かったかな??


ぐにゃぐにゃ感は3分の一以下になって許容範囲かもなー。


純正の様に裏の肉抜きが無いから締りが悪いんやね。
もう少しネジをフォーク側に寄せれば良かったなー。

後はアウターとインナーのガタの問題とかでしょうね。
長い分、ガタが大きくなるんでしょうねぇ。。

2009年8月30日日曜日

ブラスト



カル鉄、重鉄、コベ鉄(アメリカンレージングにちなんで神戸のコベ)
とか、おのおの好きな呼び方で結構ですが・・。



ブラストを当てて頂きました。 またお地蔵さんやナ。。



串本前にパーカ屋さんに出したけど・・今頃は黒くなってるかと。
月曜にでも引き取りに行くか。

シフト周りの見直し



どうもシフトフィールが悪いんでミッション側を伸ばしてみたけど
ベアリングサポートに当ってアカンかった。



せっかく仕上げたけど前側を伸ばすか。
ロッドも短く切ってつないで水平になるようにした。
操作性が上がった。

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休み中注文貰ってたグリップ配達にRUDE RODさんに行ったら・・
アクスルが緩んでたのを発見された。。 絞めてもらった。



行きは一発帰りは二発。 簡単に掛かるようになったなー。



これも串本で陣地設営、素もぐりで鍛えた成果なのか・・?

キックアームが無いのに気付いたそこのアナタ・・
するどいですが、小生くらいになると元々要りません。。。

2009年8月29日土曜日

トルコ軍艦遭難慰霊碑



大島にトルコ記念館というモノがあるらしい。
しかし大島で・・なんでトルコやねん!・とその時は思いましたが・・。



1890年(明治23年)9月16日、
トルコ皇帝ハミル2世が日本に派遣した特使一行を乗せたエルトゥール号が
帰路、暴風雨に遭い和歌山県串本町沖合で岩礁に衝突し
遭難するという事故が起きたそうです。



この事故で特使を含む518名は死亡したが、死を免れた69名は
地元民の手厚い救護により一命を取り留めた。

この時村人たちは、台風により漁ができなく
自分たちの食べるものさえ無いという状況にあったにもかかわらず
非常時のために飼っていた普段は決して口にしない
最後に残ったにわとりまでもトルコ人に食べさせ介護したのだった。

また遭難者の遺体を引き上げ、丁重に葬ったそうです。



ここの真ん中にある岩にぶつかって船体が真っ二つになったそうです。



この岩!!
 
小生も何年か前、別の場所で台風の前に入ったけど
200Mほど流され岩に打ち付けられ体中がギタギタになったけど・・。
それはただのアホやったけどなー。。

船が遭難するほどの夜の台風の中とは・・恐ろしい。。



その後一週間にわたり
人夫百数十名により219名の遺体を収容したそうですが・・
362名は遺体すら発見されなんだそうです。

一面供養するかのように花も咲いてました。



時の明治天皇は
軍艦2隻を出して生存者を乗せてトルコに送り届けたそうです。

軍も島民に医療費などの請求を求めましたが
善意ということで無償で献身的な介護をしたそうです。



りっぱな慰霊碑も建ち、事故以来100年をゆうに越えますが
5年に一度盛大な慰霊祭が行われるようです。









この話は知らんかったナ。
向うの教科書には載ってて子供でも知ってる話らしいが・・。

1985年3月17日
イラン・イラク戦争最中にイラクのサダム・フセイン大統領は
「40時間後にイラク上空のすべての航空機を撃墜する」と発表

イラク滞在の外国人は大混乱し退去の為に
空港に押し寄せ大混乱となった。
日本人は政府の決断も遅く、飛行機が無いため
脱出出来ずパニックとなったが・・そこに突然
トルコ航空機が飛来して日本人全員を乗せて成田に向かった。
その時、撃墜開始1時間15分前だったと言う。

なぜ、危険を冒してまでトルコ人が日本人を救出したのか?
当時不思議でしたけど、こういういきさつがあったんですねー。


エエ話ですわぁ。。。

大島



以前は渡船で渡らなアカンかった大島も今じゃ橋が架かっとうわ。





さすが太平洋の荒波やなー。 鯨も居るらしい。



鯛の養殖しとった。



今から出荷か。 さやうなら~~。。



岸壁を見渡すと2㎝ほどのイカも居る。



ハリセンボン発見!!



網ですくってくれた。



何故か膨らまない。。



網で叩いてもダメ。 かわうそうなんですぐ海に返した。
小生はかわうそうやから反対したんやけどなぁ。




その後素もぐり中にこれの親玉を発見!
体長60センチを楽に越えて人間の頭よりでかい巨頭やった。
目玉はゴルフボールくらいの。

普通そこまででかくなるんか!?
・・こんなでかいのは初めて見たわ。

!?



大島に移動ス。



楽に逃げれるかもよ。



ん!?  んんん~~~。



また、、「さわやか」 かよ。。



入ろうかと思ったが・・
中からこんなん出てきたらイヤやから止めたーーーー。

太平洋



遠い我らの 親たちが



命を的(まと)に 打ち樹てた



太平洋の 富源(ふげん)をば



更に探ねて 日本の



明日の栄えを 担うのだ



太 平 洋 行 進 曲
作詩 横山正徳  作曲 布施 元   昭和14年