
大島にトルコ記念館というモノがあるらしい。
しかし大島で・・なんでトルコやねん!・とその時は思いましたが・・。
1890年(明治23年)9月16日、
トルコ皇帝ハミル2世が日本に派遣した特使一行を乗せたエルトゥール号が
帰路、暴風雨に遭い和歌山県串本町沖合で岩礁に衝突し
遭難するという事故が起きたそうです。
この事故で特使を含む518名は死亡したが、死を免れた69名は
地元民の手厚い救護により一命を取り留めた。
この時村人たちは、台風により漁ができなく
自分たちの食べるものさえ無いという状況にあったにもかかわらず
非常時のために飼っていた普段は決して口にしない
最後に残ったにわとりまでもトルコ人に食べさせ介護したのだった。
また遭難者の遺体を引き上げ、丁重に葬ったそうです。
ここの真ん中にある岩にぶつかって船体が真っ二つになったそうです。
この岩!!
小生も何年か前、別の場所で台風の前に入ったけど
200Mほど流され岩に打ち付けられ体中がギタギタになったけど・・。
それはただのアホやったけどなー。。
船が遭難するほどの夜の台風の中とは・・恐ろしい。。
その後一週間にわたり
人夫百数十名により219名の遺体を収容したそうですが・・
362名は遺体すら発見されなんだそうです。
一面供養するかのように花も咲いてました。
時の明治天皇は
軍艦2隻を出して生存者を乗せてトルコに送り届けたそうです。
軍も島民に医療費などの請求を求めましたが
善意ということで無償で献身的な介護をしたそうです。
りっぱな慰霊碑も建ち、事故以来100年をゆうに越えますが
5年に一度盛大な慰霊祭が行われるようです。
この話は知らんかったナ。
向うの教科書には載ってて子供でも知ってる話らしいが・・。
1985年3月17日
イラン・イラク戦争最中にイラクのサダム・フセイン大統領は
「40時間後にイラク上空のすべての航空機を撃墜する」と発表
イラク滞在の外国人は大混乱し退去の為に
空港に押し寄せ大混乱となった。
日本人は政府の決断も遅く、飛行機が無いため
脱出出来ずパニックとなったが・・そこに突然
トルコ航空機が飛来して日本人全員を乗せて成田に向かった。
その時、撃墜開始1時間15分前だったと言う。
なぜ、危険を冒してまでトルコ人が日本人を救出したのか?
当時不思議でしたけど、こういういきさつがあったんですねー。
エエ話ですわぁ。。。

この史実は司馬遼太郎の"坂の上の雲"で読んで感動しました。
返信削除むねの奥が熱くなりました。
japonese garanteeno ! (日本人は義理堅い)
ツトムさま・・
返信削除素晴らしい話で深く感動しました。
小生知らない事が多すぎでした。
昔の日本人はエライ!!