2009年11月18日水曜日

占守島の戦い








北海道の北方に占守島(しゅむしゅとう)という日本の領土があった。
ここに終戦の3日後、日ソ中立条約を破棄してソ連が侵攻した。

日本とソ連はお互いに侵略しないとの協定ではあったが
米国との戦後支配を争うソ連の暴挙だった。
明らかな国際法違反であるのは言うまでもない。


敵の上陸地点を守るのは村上大隊 わずか約600名。
敵は上陸部隊1万、後方支援を含むと2万を超す大部隊であった。


武装解除を進めてた矢先の突然の襲撃であったが
それでも村上大隊600名は善戦した。

しかし多勢に無勢..今まさに玉砕かという時、
池田末男中佐率いる第十一戦車連隊が濃霧の中駆けつけた。
終戦業務で砲塔を外してあるなどの最悪の整備状態の中
準備が整った戦車から全速力で駆けつけてきたのである。

出陣前、池田中佐は戦車隊員にこう告げた。




「諸氏は今、赤穂浪士となり恥を忍んでも将来に仇を奉ぜんとするか
あるいは白虎隊となり、玉砕もって民族の防波堤となり
後世の歴史に問わんとするか?

赤穂浪士たらんとする者は、一歩前に出よ。
白虎隊たらんとするものは手を挙げよ!」
全員が、喚声と共に即座に手を挙げた。



そして「祖国の弥栄を祈る」と打電し隊長以下ほとんどが散華された。



その間、戦車隊の応援により士気を上げた守備隊は
鬼神のごとく善戦し敵を水際まで退ける偉業を達成した。


日本軍は何も戦いたかった訳ではない。
終戦である事や再三の停戦に応じなかったソ連が悪いのだ。
日本軍から停戦協定に白旗を掲げ向かった軍使までもが射殺された。


日本軍戦死戦傷者600名以上。
ソ連軍戦死戦傷者7000名以上
圧倒的勝利をもってしても日本軍の降伏で幕をおろした。


本来一日で占領して北海道の半分を手中に収めるソ連軍の謀略は
ここに出鼻からくじかれたのである。
もし彼等守備隊の命をかけた戦いが無ければ北海道は
ベルリンの壁の様に分断されていたのは確実なのである。
その後も樺太やその他地域でも日本軍は祖国を守った。


その後、北海道より北の大地には民間人、軍人合わせ200万人以上が
居たが、ソ連軍の鬼畜の略奪、強姦、殺人でその多くが帰らぬ人となった。
それほどソ連軍の残虐ぶりは人類史上例を見ないものだった。


その後も祖国への送還だと嘘を付き、有名なシベリア抑留へと。
107万人以上が拉致され40万人以上が露と消えた。
これはソ連側の資料に基ずくものである。

米国側もソ連のシベリア抑留を黙認しているふしがある。


・・・

その後、無事祖国の土を踏んだ彼らに待っていたものは
GHQに徹底的に反戦を洗脳された国民である。

軍隊に所属していただけの者さえ白い眼で見られ
ましてや戦闘を行った者などに居場所はなかった。
祖国のために戦ったのに最初は戦争に、そしてソ連に
最後には祖国に裏切られたのだった。


現日本においてこの様な史実が新聞、TVなどで取り上げられる事は無い。
硫黄島においても有名になったのは御高名な監督ゆえだ。
日本人として史実を正しく学ぶ事が大切ではなかろうか?

戦争は悲惨である。しかしなぜゆえにその様になったのか
当時の背景、史実に基づいて検証しなければ
真の平和など見えては来ないであらう。



日本人として彼ら英霊を心より称え哀悼の意を表するのは当然の事である
願わくば彼らが認知され、涙して黙祷を捧げる日が来るのを心より願う。


最後にもう一つの悲劇も見てもらいたい。
http://www35.tok2.com/home/sousei/otome.swf









ありがとう御座いました。

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