2009年11月29日日曜日

散華の心



      

          散華の心

今の日本人には無いモノかも知れませんね。








舞台は赤道直下のセベレス島。その南西端にマッカサルの町が在る
(現インドネシア共和国、スラウェシ島ウジュンバンダン)


昭和一八年六月二十二日
マッカサルは敵B24爆撃機十六機の無差別爆撃を受け
多くの原住民が殺傷され町は破壊された。

当時この町には九三二派遣隊として
固定脚の九七式二号艦上攻撃機ただ一機のみであった。
搭乗員は三名で任務は対潜哨戒である。

敵の爆撃に戦闘機でない艦上攻撃機ではどうする事も出来なかった
派遣隊長兼操縦員、木野中尉は無線員の広田兵曹長、
偵察員の真鍋二飛曹を伴い被害状況を視察した。

敵の爆撃は原住民の家屋密集地区に集中していた。
中尉は眼前に展開した凄まじい光景に呆然と立ち尽くすが
同時に町を爆撃したB24に対し、手をこまねいて
何もしなかった自分たちに向けられた住民の怒りと
悔蔑の視線を感じていた。




その翌日
木野機は前日と同じ時刻に現れたB24の十六機編隊を
迎撃して敵編隊長機に体当たりした。
.....九七艦攻の装備では撃ち落とすのは不可能であるからだ。



九七艦攻と敵B24は巨大な一つの火の玉となって海に墜落した。



木野中尉は大日本帝國軍人の名誉と原住民の命を守る為、
自ら決意され体当たりを敢行し、そして散華された。
が、しかし所帯持ちの広田兵曹長を地上に残す思いやりも忘れなかったのである。



木野中尉と真鍋二飛曹の体当たりを目のあたりにした原住民の間に
大きな感動の輪が広がり、誰言うと無く二人の忠魂碑を建てようという事になった。

そして二ヶ月、延べ千人の住民の労力奉仕により
高さ十メートルの碑が完成した。




終戦のおり、住民は再占領の為進駐して来たオランダ軍の意向に反して
この碑を守ったという。

この碑は今でも住民に守られて、
マラッカ海峡に沈む紅く大きい夕日に映えて空高く立っている





ありがとう御座いました。

0 件のコメント:

コメントを投稿