2012年1月4日水曜日

原爆慰霊碑にペンキが・・


本日、原爆慰霊碑に何者かの犯行。。

「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」
と刻まれた文字の一部をなぞるように塗料が吹き付けられていた。

これで2度目。


「過ちは繰返しませぬから」
の文字だけ消されている。

その意味を考えてみたんやなぁ。
原爆を落としたのはアメリカ。


極東国際軍事裁判にて判事を務めた
国際連合国際法委員長であるパール氏はこう言っている。

いったいあの場合、
アメリカは原子爆弾を投ずべき何の理由があっただろうか。
日本はすでに降伏すべき用意ができておった

これを投下したところの国(アメリカ)から、真実味のある、
心からの懺悔の言葉をいまだに聞いたことがない


連合国側の「幾千人かの白人の軍隊を犠牲にしないため」
という言い分に対しては

その代償として、罪のないところの老人や、子供や、婦人を、
あるいは一般の平和的生活をいとなむ市民を、
幾万人、幾十万人、殺してもいいというのだろうか


ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、
原爆を落したものは日本人でないことは明瞭である。

落としたものの責任の所在を明かにして、
"わたくしはふたたびこの過ちは犯さぬ"というのなら肯ける。

しかし、この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、
これまた日本の責任ではない。

その戦争の種は、
西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。

ただし、過ちをくり返さぬということが、
将来再軍備はしない、戦争は放棄したという誓いであるならば、
非常にりっぱな決意である。それなら賛成だ。

しかし、それならばなぜそのようにはっきりした表現をもちいないのか
原爆を投下した者と、投下された者との区別さえもできないような
この碑文が示すような不明瞭な表現のなかには、

民族の再起もなければまた犠牲者の霊もなぐさめられない



これを発端として碑文論争が活発化した。



この発言を聞いた本照寺の筧義章住職はパールを訪ね
「過ちは繰り返しませぬから」に代わる碑文を要望し、
パールは「大亜細亜悲願之碑」の文章を執筆した。

以下がそれである。

激動し変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の思いを抱いて 死んでいった

しかし
大地深く打ち込まれた悲願は消えない

抑圧されたアジアの
解放のため その厳粛なる
誓いにいのち捧げた
魂の上に幸あれ

ああ 真理よ
あなたは我が心の
中に在る その啓示
に従って 我は進む

一九五二年一一月五日
ラダビノード・パール

***


 
1970年2月11日に運動団体「原爆慰霊碑を正す会」が発足。
広島市が「主語は『世界人類』」と公式見解を示す事態となった。

1983年に主語をトルーマンとする札が慰霊碑に貼り付けられる
事件がおこり、広島市は主語はすべての人々とする説明板を設置した。





2 件のコメント:

  1. 一部の幸福の裏に非情な悲劇があるのは許されない、と憤慨しました。ブログすごく興味深いのでコレからも是非読ませていただきます。お気に入りに登録させていただきます。また、特攻に向かわれる方々の寄せ書きの部分も読ませていただき、皆さんえらい達筆であるのに関心しました・・・ありがとうございます。

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  2. tomoki nozaさん・・

    そう言って頂けたら冥利に尽きマス。。。
    ありがとう御座います。

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