車を借りて美唄炭鉱に向かう。
美唄ってココ
札幌と旭川の間、札幌から60キロ
直線道路日本一でしたか、、
一時は石炭で栄えた美唄市
美唄地域の主要炭鉱は三菱と三井による財閥系が開発に着手した。
三菱美唄炭鉱は1913年(大正2年)開鉱。
年産160万トン級の炭鉱で、
三菱大夕張炭鉱と並び、三菱系道内の2大鉱であった。
しかし大夕張と時を同じく、1973年(昭和48年)閉山
炭鉱跡へ向かう。
今は廃坑になってるけど露天堀りだけは今も続いてるみたい。
原発止まって今忙しいそうやわ。
中学校も廃校になって体育館跡がスキー場に利用されてるなぁ。
コレは去年見た。
この公園は不気味やわ。
恐ろしくて近付けんなぁ。
昭和16年3月 三菱美唄鉱通洞坑で大ガス爆発発生
(死亡177人、負傷22人)
20年6月 三井美唄鉱に連合軍捕虜収容所開設、
同月末の炭鉱労働者総数16,285人、
うち外国人労働者数6,000人に達する
暗い過去があるんやなぁ。
でも慰霊碑より公園の便所前が一番コワイんよねぇ。
三菱美唄では一九四一年三月通洞坑でガス爆発事故(一七七人死亡、内朝鮮人は三二人)、一九四四年五月には北部第一斜坑でガス爆発事故(一〇七人死亡、内朝鮮人は七〇人以上か)というように大きな事故が二回おきている。また下請けの組での危険な現場での労働や虐待も多い。四一年三月の事故の際、三菱は朝鮮人寮や通洞坑口の警戒を強めた。事故の二日後には坑道をコンクリートで閉鎖したため、五三人(内朝鮮人は一四人)の遺体は今も地中にある。四四年五月の事故は石炭増産運動の中でおき、報道されることもなかった。
北国の歴史は悲しいのが多いんよねぇ。。
去年見たトコは省略して・・
去年休館日で見れなかった
三菱美唄記念館へ
安全祈願。
こんなに広かったんかぁ。
炭鉱の人
炭鉱労働は危険と隣り合わせ、、
何百人と死んで
今も構内には近年だけでも53人が埋まったまま。
その頃は相当栄えてたらしい。
人口のピークは1956年 昭和31年
92150人
1960年 昭和35年 87345人
1963年 昭和38年閉山
1972年 昭和47年には17150人と激減!
「黒ダイヤ」「黒いダイヤ」「黒の宝石」等と呼ばれていたんやね。
その後は石油に押され・・
今は炭鉱が閉鎖になって町は寂れたんやなぁ。
繁栄してた頃の建物。
レンガ造りの高価なモンやわ。
炭鉱の歴史は悲しいなぁ。
心もズタズタ。。
足もズタズタ
くま吉が窓に飛び乗る際に踏み台にされて受けた傷。1ヶ月後。
小型の熊かもしんない。
.jpg)



.jpg)
.jpg)
.jpg)

.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)
.jpg)

.jpg)
.jpg)
0 件のコメント:
コメントを投稿